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千家十職

04.奥村吉兵衛

じめに​ ~ ​​​奥村吉兵衛 ~

現在制作中

❙奥のあゆみ

三千家御用達の『表具師』として、代々御家元の揮毫の「軸装」や「風炉先屏風」、釜の敷物の一種である「紙釜敷」の製作などを行う『職家』。

『奥村家』の遠祖は近江国/谷の庄の『江州/佐々木家』の血を引く武士であったとされ名は『奥村三郎定道(生没享年不詳)』といい小谷城の『浅井家』に仕えていたとされる。
しかしその後「姉川の合戦」により『浅井家』が天正元年(1573年)8月に滅亡したため浪人となる。

『奥村三郎定道(生没享年不詳)』の息子『奥村源六郎定次(生没享年不詳)』は長男『奥村源子郎(生没享年不詳)』を『加賀/前田家』に仕え『摂津守定光』と名乗り、「関ヶ原の合戦」で名を上げ『加賀藩士』となる。
そして次男の『吉右衛門清定』は武士を捨て京都へ上り「小川通上立売上ル」に住み、母方の家職を継いで『表具師』を業とすることとなる。

この『奥村吉右衛門清定』が『奥村家初代』となるが『奥村家』では次男『吉右衛門清定』が承応三年(1654年)三十七歳の時に『表具屋』を開業したこの年が『奥村家』の創業の年とされている。

また現在の地「釜座/夷川上ル亀屋町」の住まいは明治時代になってからである。

 

『奥村家二代/奥村吉兵衛(休意)』は『表千家六代/覚々斎原叟宗左(1678-1730)』の取りなしにより『紀州徳川家』の御用達となり、『奥村家』の基礎を作る。
その後数代に渡り男子が夭折し跡取りには恵まれず代々婿養子を郷里の北近江より迎える事となる。

『奥村家六代/奥村吉兵衛(休栄)』は『奥村家』の功績をまとめるために調査を重ね、家系図はもちろん、歴代の表具作成の記録などを文書化。
『奥村家八代/奥村吉兵衛(蒿庵)』は歴代の中でも最も名手といわれる一方、国学、儒学に通じ、尊皇攘夷派の学者や志士と深く交わりを持った人物である。
しかし明治維新後の文明開化により茶道が衰退、他の『職家』と共に『奥村家』は大きなダメージを受けることとなる。
その後『奥村家九代/奥村吉兵衛』はこの困難な時代に名跡を継ぎ、奥村家の建て直しに成功、現在に至る。

​❙奥歴代

初代

❙奥村吉右衛門清定

元和四年(1618年) ― 元禄十三年(1700年) / 八十三歳

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二代

❙奥村吉右衛門(休意)

嘉永二十年(1643年) ― 享保四年(1719年) / 七十七歳

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三代

❙奥村吉右衛門(休誠)

寛文八年(1668年) ― 寛保三年(1743年) / 七十六歳

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四代

❙奥村吉五郎

元文二年(1737年) ― 天明元年(1781年) / 四十五歳

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五代

❙奥村吉兵衛(了誠)

宝暦五年(1755年) ― 文政八年(1825年) / 七十一歳

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六代

❙奥村吉兵衛(休栄)

安永九年(1780年) ― 嘉永元年(1848年) / 六十九歳

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七代

❙奥村吉次郎(休音)

寛政七年(1795年) ― 天保八年(1837年) / 四十三歳

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八代

❙奥村吉兵衛(蕎庵)

文化元年(1804年) ― 慶応三年(1867年) / 六十四歳

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九代

❙奥村吉兵衛

天保十二年(1841年) ― 明治四十一年(1908年) / 六十八歳

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十代

❙奥村吉次郎

明治二年(1869年) ― 昭和十九年(1944年) / 七十六歳

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十一代

❙奥村吉兵衛(一道)

明治三十四年(1901年) ― 昭和六十二年(1987年) / 八十七歳

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当代

❙奥村吉兵衛

昭和九年(1934年) ― 年(年) 歳

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