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茶道入門

01.茶道とは?

めに

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とは? ~ ​日本人のDNA ~

『茶道』とはわが国において長い年月をかけ様々な時代を経て構築された日本を代表する伝統文化であり、点前をはじめとする作法、茶道具をはじめとする美術工芸品、茶室をはじめとする数寄屋建築、茶事でおこなう懐石料理などそのすべてが世界に唯一無二の日本独自の総合文化であり世界に誇れる総合芸術といえます。

 『茶道』とはもてなしの心を大切にし、ただ茶を点て喫するだけでなく、茶室や露地の様子、茶道具、そして出されるお菓子などにも気を配りそこにあるすべてで客人をもてなし、客人はそのすべてで季節感や趣を楽しみます。

 また、『茶道』は禅の考え方に基づいており、『わびさび』の精神を大切にしています。

そのため、茶を点てることに集中することで心を落ち着かせ、自分自身を見つめ直すことができるのです。 

『茶道』に由来する「一期一会」という言葉も存在し、茶会を催す際には、どの茶会でもこの機会は一生に一度のものと心得て、亭主、客人ともに誠意を尽くす心構えを意味しています。

 この国で生まれた私たちすべての日本人のDNAには私たちの先祖が築き上げた『茶道』での精神が組込まれていることがわかる。

❙わび・さび​ ~ 日本人の美意識 ~

今日の『茶道』を知らない人たちも日本人であれば『わび・さび』という言葉は、一度は耳にしたことがあると思います。 

本来は『わび』と『さび』は別の概念であったが近代の『茶道』において『わび・さび』は一つの語として用いられるようになったとされ同時に『茶道』における代表的な言葉としても用いられるようになる。

 しかし一般の方や茶人の中にも『わび・さび』の言葉をはっきりと説明できる方は少ないのではないでしょうか?

 『茶道』と同様に奥の深い一語ではありますが、ここでは『わび・さび』の言葉の歴史や解釈をご紹介させて頂きます。

❙わび❙

『わび』のとは「不足の中にある静寂な心の境地」「静寂の中の枯淡な味わい」など

日本最古の和歌集『万葉集』には『わび』に関する記述はあるが現在のように『わび』を美意識としての概念が一般的に用いられるのは江戸時代になってからとされ『南方録』には『わびの本当の心は清浄で無垢な仏の心の世界を表したものだと』記されている。

 本来は悲観の心身を表す語であったが時代は室町時代となり高価な「唐物道具」を尊ぶ中、村田珠光は粗末なありふれた道具を用いる草庵茶を提唱、後の武野紹鴎は「正直で慎み深くおごらぬさま」すなわち『わび』が大事であると説き、その後の千利休による茶道の大成とともに『不足の美』を表す美意識の『語』と変わっていくこととなる。

 しかしこの時期には『わび』を提唱した記述はなく現在のように『わび』が茶の湯の代名詞としてはまだ認知されていないと推測されている。

 利休時代には『わび数寄』という語があらわれるがここでいう『わび』とは『山上宗二記』によると「一物も持たざる者、胸の覚悟一つ、作分一つ、手柄一つ、この三ヶ条整うる者」を指し『貧乏(簡素な)茶人』のことであり美意識としての『わび』ではないことがわかる。

 美意識の『わび』が用いられるようになったのは江戸時代からと推測され江戸時代の多くの史書によって茶道の根本美意識と位置付けられるようになる。

 その後、柳宗悦らによる『民芸運動』をはじめ益田鈍翁などの数寄者の登場により茶道具が美術品として一般にも普及するとともに『わび』の語も多く用いられ日本において美意識の代表的な語として『わび』が定着する事になる。

 余談ではあるが岡倉覚三(天心)の著書『The Book of Tea(『茶の本』)』の中で『わび』は“imperfect”と表記され、同書を通じて世界へと広められた。

❙さび❙

本来は時間の経過とともに劣化した様子を表しているが後に漢字の『寂』が当てられたことにより「寂しい」「寂れる」と転じ「ひっそりと静まる」などの静まった様子を表すようになった。

しかしそれにより「老いて枯れたもの」と「古びたものの美」という相反する要素が『さび』の中に生まれることになる。

本来は良い意味合いで用いられていた言葉ではないが古くは『徒然草』の中に『古書を「味わい深い」』との記述がある事からこの時代には古びた姿(様子)に美意識が生まれていることがわかる。

村田珠光が提唱した『草庵茶』は茶の湯を表すのに「冷えさび」「冷え枯れ」という言葉を用いている。

また室町時代に入るとその美意識は『禅』『連歌』『能楽』などにも取り入れられていくが『さび』という言葉は利休の時代の史料には確認することができない。

また『山上宗二記』にある『侘びの十ヶ条』にも同書の文中にも『さび』の語は確認する事はできない。

推測ではあるが江戸時代に栄えた「俳諧」の流行にともない『わび』の語の概念が広がるにつれ『さび』の語も結び付けられたことで茶道においても用いられるようになったのではないかと考えられる

❙点前​ ~ 茶が道となる ~

茶の湯では招いた客人に差し上げる抹茶をつくる(点てる)一連の所作、動作(作法)を『点前』と呼びます。古くは『手前』の字を用いていましたが今日では炭を置くための所作、動作(作法)の場合のみ『手前』の文字を用います。

また現在では流派により『点前』差異はありますが「茶の湯」では大きく二つ『点前』に分類することができ『濃茶点前』と『薄茶点前』があげられます。

 

『点前』の歴史を見ると中国宋代の茶書『茶録』の中にある「点茶」という語が初見と考えられます。

また実際に『点前』が行われた記録については永享九年(1437)十月二十一日に『第百二代天皇/後花園天皇(1419-1471)』が『室町幕府第六代将軍/足利義教(1394-1441)』の室町殿へ行幸された際に『[武将]赤松貞村(1393-1447)』が天皇拝領の唐物道具を使い、平安装束(水干・折烏帽子)にて披露した『台子点前』であったとされています。

 その後、『台子点前』は『[茶祖]村田珠光(1423-1502)』の『草庵茶』の成立とともに『炉の点前』が考案され、それを『わび茶』を提唱する『[茶人]武野紹鷗(1502-1555)』に引き継がれ、その後『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』の登場により『運びの点前』が成立、『茶の湯』は道となり『茶道』が誕生し『点前』の基本はすべて整う事となります。

 そして時代を重ねると共に流派は増え、各家の家元制度も確立、『点前』も時代に合わせ多様化し今日に至ることとなります。

❙作法​ ~ 日本人の心 ~

『茶道』に限らず、日本では古くから培ってきた独自の文化と精神にて相手への感謝や地域や社会への秩序を保つためなど、さまざまな機会や場所にて規範となる『作法』があります。

 一言に『作法』といっても対人間はもちろんのこと自己と対する「神仏」、「自然」、「動植物」など自己に関わるすべての物に対する『作法』があります。

 『茶道』における作法については「礼ではじまり、礼でおわる」とあるように熟練の先生方も『茶道』を初めて習う方でもすべては『礼』からはじまります。

 また流儀により差異はありますが『茶道』には「お辞儀(礼)」「姿勢」「座り方(正座)」「歩き方」は当然のことながら

・点前時(亭主)

・入室時(客人)

・喫茶時(客人)

・食事時(客人)

・退室時(客人)など

『茶道』ではここではすべてを書ききれないほどの多くの場面にて『作法』が必要とされます。

 しかしこれだけを記すと非常に難しく大変な事を想像してしまいますが『茶道』においては、対する相手は当然のことながら自然、食材、空間などそのすべてを敬う心があればすべてが合理的で理にかなう所作であることも事実であり、またそのあたりまえの事実を再度教えてくれるのも『茶道』であると考えられます。

 日本人として培われた当然の『作法』から「一期一会」の茶の空間秩序を保つための亭主・客人が相手を思いやる『作法』まで『茶道』においてはそのすべてを習得するには生涯をかけても修練は続くとされています。

 あたり前のことや当然のことをおこなうことがいかに一番難しいことであるのかと考えさせられるのも『茶道』のもつ魅力の一つでもあると考えられます。

❙茶道の心得​ ~ 利休の教え ~

茶の湯の大成者である『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』が茶道における心得を説いた標語に四つの漢字から成る『利休四規』と七つの言葉から成る『利休四規七則』があります。

 これから『茶道』を修練する方にとっては「茶道の心得」となる標語ですので必ず頭に入れておきましょう。 

❙利休四規❙
和・敬・清・寂
❙利休七則❙
一、茶は服のよきように
二、炭は湯の沸くように
三、夏は涼しく冬は暖かに
四、花は野にあるように
五、刻限は早めに
六、降らずとも雨の用意
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