千家十職
02.永楽善五郎
はじめに ~ 永楽善五郎 ~
現在制作中
❙永楽家のあゆみ
三千家御用達の【土風炉/焼物師】として、「土風炉」、「茶碗」、「水指」などをはじめ代々御家元の「御好物」の製作などを行う【職家】。
『永楽家』が現在の『永楽』を性としたのは明治時代であり、それ以前は『西村の性を名乗っていた。
『永楽』という名は中国明王朝時代の優品を焼いた「永楽帝時代」に由来しており、『永楽家初代/西村宗禅』から『永楽家九代/西村宗巌』は『西村』の姓を名乗り、主に「土風炉」を製作。
『永楽家十代/了全』以降は『永楽家』の姓を名乗り、茶陶を制作、現在に至る。
現在の『千家十職』の中には同じく茶碗を作る茶碗師『楽家/樂吉左衛門』がいるが『永楽家』は主に伝世品の写しなどを作っており『楽焼』のみの『樂家』とは住み分けがなされている。
『永楽家』の祖先は《大和国・西京(現・奈良市西ノ京)》に居住する『土風炉師』であり、奈良の《春日社(春日大社)》の「斎器(供御器)」を制作していた家柄であると伝えられている。
【永楽家初代/西村宗禅】は『抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』の師である堺の『武野紹鷗(1502-1555)』の依頼で「紹鷗好み」の茶の湯用土風炉を焼き出してから土風炉作りを家業とするようになり、晩年には『土風炉師/善五郎』を名乗るようになる。
【永楽家二代/西村宗善】は《大阪/堺》に住み、【永楽家三代/西村宗全】以降は京都に定着、『細川三斎(1563-1646)』や『小堀遠州(1579-1647)』らの大名茶人の支持を得ている。
また【永楽家三代/西村宗全】が『小堀遠州(1579-1647)』の用命を受けた際に『宗全』の銅印を拝領したことから以後【永楽家九代/西村宗巌】まで作品に『宗全印』を使用している。
千家に出仕するようになったのは【永楽家十代/永楽了全】以降だと考えられ、【永楽家十一代/永楽保全】は文政十年(1827年)に、『紀州藩十代藩主/徳川治寶(1771-1853)』の別邸《西浜御殿》の「御庭焼」開窯に招かれ、作品を賞して『河濱支流(かひんしりゅう)』の金印と『永楽』の銀印を拝領し、以降『永楽』の印を用いると共に【永楽家十二代/永楽和全】の代から『永楽』姓を名乗ることとなる。
また遡って【永楽家十代/永楽了全】と【永楽家十一代/永楽保全】も『永楽』の名で呼ばれている。
中国における陶磁器についての最初の歴史的記述『史記』にある
「瞬陶(ス)(二) 河濱(二)(一) 器皆不(二)苦歪(一)~中国の聖王といわれた瞬が華河賓に陶を焼いたところ、器はすべて歪まなかった~」に由来する
❙河濱支流❙
中国における陶磁器についての最初の歴史的記述『史記』にある
「瞬陶(ス)(二) 河濱(二)(一) 器皆不(二) 苦歪(一)~中国の聖王といわれた瞬が華河賓に陶を焼いたところ、器はすべて歪まなかった~」という故事に因み、その流れを汲む「支流」と合わせ「河濱支流」とされた。
❙永楽家歴代
初代
❙西村宗禅
生年不詳 ― 永禄元年(1558年) / 享年不詳
詳細ページ(制作中)
二代
❙西村宗善
生年不詳 ― 文禄三年(1594年) / 享年不詳
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三代
❙西村宗全
生没年不詳 ― 元和九年(1623年) / 享年不詳
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四代
❙西村宗雲
生没年不詳 ― 承応二年(1653年) / 享年不詳
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五代
❙西村宗筌
生没年不詳 ― 元禄十年(1697年) / 享年不詳
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六代
❙西村宗貞
生没年不詳 ― 寛保元年(1741年) / 享年不詳
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七代
❙西村宗順
生没年不詳 ― 延享元年(1744年) / 享年不詳
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八代
❙西村宗圓
生没年不詳 ― 明和六年(1769年) / 享年不詳
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九代
❙西村宗巌
生没年不詳 ― 安永八年(1779年) / 享年不詳
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十代
❙永楽了全
明和七年(1770年) ― 天保十二年(1841年) / 七十二歳
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十一代
❙永楽保全
寛政七年(1795年) ― 嘉永七年(1854年) / 六十歳
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十二代
❙永楽和全
文政六年(1823年) ― 明治二十九年(1896年) / 七十四歳
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十三代
❙西山藤助(曲全)
文政二年(1819年) ― 明治十六年(1883年) / 六十五歳
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十三代
❙永楽宗三郎(回全)
天保五年(1834年) ― 明治九年(1876年) / 四十二歳
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