千家十職
05.黒田正玄
はじめに ~ 黒田正玄 ~
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❙黒田家のあゆみ
三千家御用達の『竹細工・柄杓師』として、「柄杓」、「花入」をはじめ代々御家元の「茶杓」の製作などを行う『職家』。
『黒田家』は「柄杓」の他「台子」、「香合」、「花入」など竹を使う茶道具を製作。
『わび茶』を完成させた『武野紹鷗(1502-1555)』は竹の茶杓を作り、『抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』は自ら竹花入「尺八」・「園城寺(一重切)」・「よなが(二重切)」をつくり、「泪」・「ゆがみ」などの茶杓を削った。
また名人の作った竹の茶杓は金属や象牙の杓をしのぐ価値を持つに至り、その後の茶人たちは『抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』にならい自ら「竹を切り」、「茶杓を削り」、竹の道具を作った。
現在においても竹と茶の湯との結びつきは多岐にわたり「竹花入」・「籠花入」・「茶杓」・「籠炭斗」や「釜敷」・「竹蓋置」・「香合」・「水指」・「菓子器」などがありさらに点前に必須の道具である「柄杓」や「茶筅」がある。
「黒田家初代/黒田正玄」より「黒田家八代/黒田正玄」までは『将軍家御用柄杓師』として柄杓を中心とする「竹細工」を業としてきた。
「黒田家初代/黒田正玄」は、武士であり『丹羽長重(1571-1637)』に仕えていたという。
しかし関ヶ原の戦いにおいて『丹羽長重(1571-1637)』は西軍に付き改易、「黒田家初代/黒田正玄」は浪人となったために剃髪して大津に移り住み、『竹細工職人』となった。
その後、評判の『竹細工師』となった「黒田家初代/黒田正玄」は『小堀遠州(1579-1647)』からの注文を受け、茶道界・江戸幕府とのつながりを作る。
「千家」との関係ができたのは「黒田家三代/黒田正玄」の時代であり『表千家六代/覚々斎原叟宗左(1678-1730)』の御用を勤めた頃からと伝えられている。
以後明治維新にいたるまで、『歴代三千家』・『将軍家』の御用達『柄杓師』となる。
「黒田家十代/黒田正玄」は「黒田家九代/黒田正玄」早世により急遽婿養子となった人物だが、家督相続が明治維新と重なり、庇護者である幕府が崩壊、茶道も衰退する中、家業の保持に苦心。
その後を継いだ「黒田家十一代/黒田正玄」も早世「黒田家十二代/黒田正玄」は周囲の援助を得ながら、戦中・戦後の困難な時期に家業を支えた。
❙黒田家歴代
初代
❙黒田正玄
天正六年(1578年) ― 承応二年(1653年) / 七十六歳
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二代
❙黒田正玄
寛永二年(1625年) ― 貞享四年(1687年) / 六十三歳
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三代
❙黒田正玄
明暦二年(1656年) ― 享保四年(1717年) / 六十二歳
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四代
❙黒田正玄
元禄五年(1692年) ― 享保十六年(1731年) / 四十歳
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五代
❙黒田正玄
宝永五年(1708年) ― 安永七年(1778年) / 七十一歳
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六代
❙黒田正玄
延享四年(1747年) ― 文化十一年(1814年) / 六十八歳
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七代
❙黒田正玄
明和五年(1768年) ― 文政二年(1819年) / 五十二歳
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八代
❙黒田正玄
文化六年(1809年) ― 明治二年(1869年) / 六十一歳
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九代
❙黒田正玄
天保八年(1837年) ― 安政六年(1859年) 二十三歳
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十代
❙黒田正玄
文政八年(1825年) ― 明治三十三年(1900年) 七十六歳
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十一代
❙黒田正玄
明治二年(1869年) ― 明治四十四年(1911年) 四十三歳
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十二代
❙黒田正玄
明治十三年(1880年) ― 昭和四十八年(1973年) 九十四歳
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十三代
❙黒田正玄
昭和十一年(1936年) ― 平成二十九年(2017年) 八十一歳
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当代
❙黒田正玄
昭和四十二年(1967年) ― 年(年) 歳
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