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千家十職

10.飛来一閑

じめに​ ~ ​​​駒澤利斎 ~

現在制作中

❙飛のあゆみ

三千家御用達の『一閑張細工師』として、「棗」や「香合」、をはじめ代々御家元の「御好物」の製作などを行う『職家』。

わが国における漆工芸の一種『一閑張』の創始者である。

 『一閑張細工師』を業とする『飛来家』の祖は在の浙江省杭州の出身の人物で寛永年間(1624年-1644年)に来日。

 『大徳寺百七十世住持/清巌宗渭(1588-1662)』和尚を通じて『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)』に引き立てられ千家近くの小川頭に家を構え『一閑張細工』を始めたといわれている。

 『一閑張』は木地に和紙を張り重ねたものや、張抜などで器物を作り、唐漆を塗ったものでわび茶の道具にふさわしいとして『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)』に好まれ、以来その指導による「茶道具」や『表千家四代/逢源斎江岑宗左(1613-1672)』、『表千家六代/覚々斎原叟宗左(1678-1730)』など千家の『御好物』を代々製作するようになった。

 しかし「飛来家六代/飛来一閑」から「飛来家八代/飛来一閑」までは当主が相次ぎ早世、家業の維持が困難な時期を迎える。

その後「飛来家九代/飛来一閑」は家業の再興をはかるも『飛来家』も他の職方と同様に天明八年(1788年)一月に起こった『天明の大火』で罹災、家譜や初代以来の作品・印判・墨蹟など大切な資料類の大部分を焼失する(※宗旦が書いた『一閑由来記』も焼失)。

 歴代の事績については「飛来家十一代/飛来一閑」が書き留めた記録と『大徳寺第四百十八世住持/宙宝宗宇(1760-1838)』和尚が文政九年(1826年)に書かれた朝雪字の下部の「飛来家初代/飛来一閑」の略歴及び「飛来家十五代/飛来才右衛門」の記録に拠ってたどることができる。

 『天明の大火』の困難を迎えるも「飛来家十代/飛来一閑」をはじめ『飛来家中興の祖』とも呼ばれた「飛来家十一代/飛来一閑」が『飛来家』の再興に尽力。

 「飛来家十四代/飛来一閑」は後継者となるべく育てた二人の息子を太平洋戦争の徴兵による戦死でなくし、のちに婿養子として迎えた「飛来家十五代/飛来一閑」は大成する前に急逝。

現在はその娘である「飛来家十六代 [当代]/飛来一閑」が夫と共に家業を支えている。

​❙飛歴代

初代

❙飛来一閑

萬暦六年(1578) ― 明暦三年(1657年) 八十歳

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初代飛来一閑の長女

❙岸田ゆき

生年不詳 ― 天正十七年(1590年) / 享年不詳

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二代

❙飛来一閑

生年不詳 ― 天和三年(1683年) / 享年不詳

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三代

❙飛来一閑

生年不詳 ― 正徳五年(1715年) / 享年不詳

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四代

❙飛来一閑

生年不詳 ― 享保八年(1733年) / 享年不詳

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五代

❙飛来一閑

生年不詳 ― 寛保元年(1741年) / 享年不詳

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六代

❙飛来一閑

生年不詳 ― 延享三年(1746年) / 享年不詳

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七代

❙飛来一閑

生年不詳 ― 寛延三年(1750年) / 享年不詳

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八代

❙飛来一閑

生年不詳 ― 宝暦三年(1753年) / 享年不詳

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九代

❙飛来一閑

生年不詳 ― 天明八年(1788年) / 享年不詳

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十代

❙飛来一閑

宝暦七年(1757年) ― 文政十三年(1830年) / 六十歳

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十一代

❙飛来一閑

寛政三年(1791年) ― 明治五年(1872年) / 八十二歳

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十二代

❙飛来一閑

文政四年(1821年) ― 明治三十年(1897年) / 七十六歳

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十三代

❙飛来一閑

安政六年(1859年) ― 大正二年(1913年) / 五十五歳

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十四代

❙飛来一閑

明治二十七年(1894年) ― 昭和五十二年(1977年) / 八十四歳

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十五代

❙飛来一閑

大正十五年(1926年) ― 昭和五十六年(1981年) / 五十六歳

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当代

❙飛来一閑

昭和三十八年(1963年) ― 年(年) / 歳

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