
千家十職
03.大西清右衛門 [釜師]
❙はじめに ~ 大西清右衛門 ~
「千家十職」とは、千家好みの茶道具の制作を業とする十家の職家であり、日本美術(伝統工芸)の中でも特に重要な職人技を受け継いできた家々です。その技法は代々継承され、茶の湯の美と職人の美が融合した作品を生み出しています。
その千家十職の一つである大西家は、三千家御用達の「釜師」として「釜」「風炉」をはじめ代々家元の「御好物」などの制作を業とする職家です。
大西家の釜は、時代ごとの茶道の美意識に寄り添いながらも、伝統的な鋳造技法を継承し、千家の茶の湯にふさわしい形や意匠を生み出し続けています。釜は茶の湯の根幹を支える道具のひとつであり、その美しさと実用性を兼ね備えた作品は、茶会において重要な役割を果たします。
大西家は、茶の湯の発展とともに技術を磨き、千家好みの茶釜を代々にわたり制作してきました。その作品は、時代の変遷を経ながらも、伝統の技法を守り続け、茶の湯の世界に欠かせない存在となっています。
本項では大西家の歴史とそのあゆみについてご紹介します。
それでは「釜師/大西清右衛門」について詳しく見ていきましょう。
❙大西清右衛門 ~ あゆみ ~
「千家十職」の一つである釜師/大西家は、茶の湯釜の製作を専門とし、室町時代末期から約450年以上にわたって茶道の発展とともに歩んできた職家です。
大西家の家祖は山城国/南山城広瀬村(現在の京都府南山城村大字田山小字広瀬)の出身で当初は「広瀬」姓を名乗っていました。この地は京都府唯一の村で京都府と滋賀県、三重県、奈良県の三県境に位置しています。
大西家のはじまりは「大西家初代/大西浄林」が二人の弟達と京へ上洛し、『三条釜座』の座人になったこといなります。三条釜座は、当時の京における釜師の中心地であり、茶の湯釜の製作を担う重要な役割を果たしていました。大西家は、そこで技を磨きながら名声を確立し、以降、茶道の発展とともに歩んできました。
「大西家四代/大西浄頓」以降「大西家九代/大西浄元」を除き、代々の当主は「清右衛門」の名を継ぎ、千家十職の釜師として茶の湯釜の制作を担ってきました。
❙大西清右衛門美術館❙
大西家は京都市中京区三条釜座に工房を構え、伝統の技を継承し続けています。さらに、「大西清右衛門美術館」も併設されており、歴代の茶の湯釜や関連資料を展示し、釜師の技と歴史を伝える場となっています。伝統技術を守りながらも、現代の茶人の要望に応じた作品作りにも取り組んでおり、茶の湯文化の発展に貢献し続けています。
〒604-8241 京都市中京区三条通新町西入る釜座町18-1
http://www.seiwemon-museum.com/
大西清右衛門家は、千家十職の釜師として茶道と深く結びつきながら、長きにわたって日本の伝統文化を支えてきました。その作品には、単なる道具としての機能を超え、茶の湯の精神が込められています。時代とともに変化しながらも、脈々と受け継がれる技と心は、今なお多くの茶人に愛され続けています。