top of page
jyussyoku.jpg

千家十職

01.樂吉左衛門 [茶碗師]

❙はじめに ~ 樂吉左衛門 ~

「千家十職」とは、千家好みの茶道具の制作を業とする十家の職家であり、日本美術(伝統工芸)の中でも特に重要な職人技を受け継いできた家々です。その技法は代々継承され、茶の湯の美と職人の美が融合した作品を生み出しています。

 

その千家十職の一つである樂家は、日本独自の焼物である樂焼を生業とする職家です。樂焼は、それまでの日本の焼物とは異なる技法と理念によって生み出され、千利休の茶の湯の精神と深く結びついて発展してきました。

樂家は、この樂焼の創始家として、代々茶の湯にふさわしい茶碗を制作し続けています。

本項では樂家の歴史とそのあゆみについてご紹介します。

​​それでは「茶碗師/樂吉左衛門」について詳しく見ていきましょう。

❙樂吉左衛門 ~ あゆみ ~

「千家十職」の一つである樂家は、茶の湯に用いる樂焼の創始であり、楽焼を専門とするに職家です。桃山時代より一子相伝の技を継承し、今日に至るまで約450年の歴史を紡いできました。

楽焼のはじまりについては近年の研究により、中国・明代の河南地方に伝わる「三彩陶」であるということが判明しています。また、古文書には樂焼の創始者である「樂家初代/樂長次郎」の父として、唐人「阿米也」なる人物が記載されています。作品こそ現存していないものの、この「阿米也」こそが中国・明代の「三彩陶」の技法をわが国へ伝えた人物と考えられています。

桃山時代、京都を中心に色鮮やかな「三彩釉」を用いた焼物が盛んに焼かれはじめており、「樂家初代/樂長次郎」もその技術をもった焼物師の一人であったと考えられています。長次郎の生み出す茶碗は日本独自の美意識に基づき「質」「形」「色」などすべての要素が「茶の湯」の精神に合致していました。そのため『抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』の指導があったことが推測されています。

​樂家は『豊臣秀吉(1536年-1598年)』が建てた「聚樂第」近くに居を構えていました。また「樂家初代/樂長次郎」の樂茶碗は、聚樂第に屋敷をもつ『抛筌斎千宗易(利休)』の手を経て世に出されたことなどから、後にこの焼物は「聚樂焼茶碗」と呼ばれるようになり、やがて時代が経つとともに「樂焼」「樂茶碗」と尊称されるようになり、家名として「樂」が定着するに至ったという。

​以来、今日に至るまで「樂」は性となり、また「樂家三代/道入(ノンコウ)」以降の各当主には隠居時に「入」の字を含む「入道号」という名前が贈られており、後世にはその「入道号」で呼ばれる事が多くなりました。

 

 

​樂家が今日の「京都/油小路二条」に居と窯場を構えたのは桃山時代に遡ります。天正四年(1576年)「京都/法華寺」再建のための「勧進帳記録(京都頂妙寺文書)」に「田中宗慶」「樂家二代/樂常慶」「庄左衛門・宗味」の名前が以下のように記されており、

  • 「田中宗慶」は南猪熊町

  • 「樂家二代/樂常慶」は中筋町

  • 「庄左衛門・宗味」は西大路町

それぞれが京都の異なる地域に移住されていたことが確認されています。

それから四百五十年もの間、樂家歴代は変わることなく、樂焼の伝統と一子相伝の技術受け継ぎ、その制作と焼成法は、桃山時代から全く変わることなく今日も受け継がれています。

​❙美術館❙

​​樂焼の歴史や作品を学ぶことができる施設として、京都には「樂美術館」、滋賀には「佐川美術館・樂吉左衛門館」があります。これらの美術館では、樂家の歴代作品や茶の湯文化に関する展示が行われており、樂焼の伝統と魅力を深く知ることができます。

・樂美術館

〒602-0923 京都府京都市上京区油橋詰町87−1

TEL 075-414-0304

https://www.raku-yaki.or.jp/

​​

・佐川美術館/樂吉左衛門館

〒524-0102 滋賀県守山市水保町北川2891

樂茶碗は、単なる器ではなく、茶道の精神を体現するものとして、茶人にとって特別な存在であり続けています。今なお、450年以上の時を超え、樂家の手によって生み出される茶碗は、茶の湯の世界に深く根付き、その伝統を未来へとつないでいます。

❙樂吉左衛門 ~ 製法 ~

樂焼(らくやき)は、千家十職の茶碗師・樂吉左衛門家によって450年以上にわたり一子相伝で継承されてきた特別な焼物です。他の焼物とは異なる独自の製法によって作られ、その技術の詳細は門外不出の秘伝とされています。樂焼の制作は、茶の湯の精神と深く結びついており、その技法は時代を超えて守り続けられています。

❙手捏ね製法❙

樂焼は、轆轤を使用せず、手と箆だけで成形する「手捏ね」という方法で作られます。この技法によって、茶碗には機械的な均一性がなく、人の手の温もりを感じさせる柔らかい造形が生まれます。また、手捏ねの成形は、茶碗を持ったときの手の収まりや口当たりの良さを考慮しながら行われるため、茶の湯における「用の美」を体現したものとなります。

❙焼成方法❙

​樂焼は、一般的な磁器や陶器とは異なり、約750℃~1,100℃の比較的低温で焼成される「軟質施釉陶器」に分類されます。この焼成方法により、樂焼独特の柔らかさと温かみのある風合いが生まれます。

​❙黒樂製法❙

樂茶碗は天正九年(1581年)から天正十四年(1586年)ごろに樂家初代/樂長次郎によって創始されたとされています。その製法は非常に独特であり、以下の工程を経て完成します。

初期の製法としては素焼後に加茂川(京都市)の黒石からつくられた鉄釉をかけて陰干し、乾いた後にまた「釉薬」を掛けるといった工程を十数回繰り返します。その後、1,000度程度で焼成し「釉薬」が溶けたところを見計らって窯から引き出し急冷し、釉薬が黒く変色することで黒樂特有の深みのある黒色が生まれます。この急冷による焼成方法が樂焼独特の美しい釉調と質感を生み出しています。

 

❙赤樂製法❙

赤樂茶碗は、樂家二代・樂常慶によって創始されたとされ、樂焼のもう一つの代表的な技法です。黒樂とは異なる工程を経て焼かれます。

赤樂は「聚樂土」と呼ばれる土が使用され、この土は、樂焼の発祥地である聚樂第周辺の土を指し、焼成後に独特の赤色を帯びる特徴があります。

この胎土聚樂土を素焼きし,透明の釉薬を施し、その後、約800度の低温で焼成することで胎土の赤みが際立つ独特の風合いを生み出します。

​赤樂は、黒樂に比べて柔らかく温かみのある印象を持ち、茶席において季節や趣向に応じて使い分けられます。

このように、樂焼の製法は450年以上にわたって変わることなく受け継がれ、現在も樂吉左衛門の手によって、伝統的な方法で一碗一碗、丁寧に作られています。樂焼は、日本独自の文化であり、茶の湯の精神を体現する茶碗として、今日も多くの茶人に愛され続けています。

RAKU KICHIZAEMON

RELATED PEOPLE

bottom of page