
千家十職
01.樂吉左衛門 [茶碗師]
❙はじめに ~ 樂吉左衛門 ~
千家十職の一家。
樂家とはわが国において樂焼の誕生以前の焼物とはまったく異なる方法論と技術によって導かれた樂焼を業とする職家。
樂焼は今日においても世界に誇る日本の焼物の一種であり、樂家はその樂焼の創始家である。
本項では「樂家」のあゆみをご紹介したいと思います。
❙樂吉左衛門 ~ あゆみ ~
近年の研究により樂焼のルーツは中国(明代)河南地方の「三彩陶」であるということがわかり、古文書には樂焼の創始者である「樂家初代/樂長次郎」の父にあたる唐人「阿米也」なる人物が記載されており、今日において作品こそ残されていないが、この「阿米也」こそが中国(明代)から「三彩陶」の技法をわが国へ伝えた人物と考えられている。
わが国においても桃山時代には京都を中心に色鮮やかな「三彩釉」を用いる焼物が盛んに焼かれはじめており、「樂家初代/樂長次郎」もその技術をもった焼物師の一人であったと考えられている。
またわが国独自の産物であり「質」、「形」、「色」などそのすべての特徴は「茶の湯」に合致し、「樂家初代/樂長次郎」に対する「茶の湯」の大成者である『抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』の指導が推測される。
樂家は『豊臣秀吉(1536-1598)』が建てた「聚樂第」近くに居を構えていたこと、また「樂家初代/樂長次郎」の樂茶碗は、聚樂第に屋敷をもつ『抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』の手を経て世に出されたことなどから、この焼物が後に「聚樂焼茶碗」と呼ばれるようになり、やがて「樂焼」「樂茶碗」と尊称されるようになったという。
以来、今日に至るまで『樂』は性となり、また「樂家三代/道入(ノンコウ)」以降の各当主には隠居した時に「入」の字を含む「入道号」という名前が贈られており、後世にはその「入道号」で呼ばれる事が多い。
『樂家』が今日の地「京都/油小路二条」に居と窯場を構えたのは桃山時代に遡る。
天正四年(1576)に「京都/法華寺」再建のための「勧進帳記録(京都頂妙寺文書)」に「田中宗慶」「樂家二代/樂常慶」「庄左衛門・宗味」の名前が残されており
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「田中宗慶」は南猪熊町
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「樂家二代/樂常慶」は中筋町
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「庄左衛門・宗味」は西大路町
を住まいしていたことを確認することができる。
以来四百五十年、樂家歴代は変わることなく樂焼の伝統と一子相伝の技術を今日に伝え、その制作と焼成法は四百五十年前と全く変わらぬ方法で今日も焼かれている。
❙樂美術館❙
〒602-0923 京都府京都市上京区油橋詰町87−1
TEL 075-414-0304
❙佐川美術館/樂吉左衛門館❙
〒524-0102 滋賀県守山市水保町北川2891
❙樂吉左衛門 ~ 製法 ~
樂焼には他とは違う独自の製法にて造られています。
またその制作には一子相伝の秘伝が含まれその詳細については公開されていません。
❙樂焼製法❙
一般的に手と箆(ヘラ)だけで形成する「手捏ね(てずくね)」と呼ばれる方法で成形した後、750℃~1,100℃で焼成された「軟質施釉陶器」である。
❙黒樂製法❙
天正九年(1581)-天正十四年(1586)ごろに樂家初代/樂長次郎によって黒樂茶碗が焼かれたのがはじまりとされている。
初期の製法としては素焼後に加茂川(京都市)の黒石からつくられた鉄釉をかけて陰干し乾いた後にまた「釉薬」を掛けるといった工程を十数回繰り返し1,000℃程度で焼成し「釉薬」が溶けたところを見計らって窯から引き出し急冷することで黒く変色する。
❙赤樂製法❙
胎土聚樂土を素焼きし,透明の釉薬をかけて800℃程度で焼成している。
❙樂吉左衛門 ~ 歴代 ~
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元祖
❙阿米也 (あめや)
生没年不詳
中国もしくは朝鮮から渡来したと伝えられる陶工で樂焼の祖・長次郎の父とされる。
京都で瓦職人として活動していたとされ、千利休の茶の湯に適した焼き物の制作に尽力したとされ彼の技術と知識が息子/長次郎に受け継がれ、樂焼誕生の礎となる。
その後の茶陶文化に大きな影響を与えたと考えらる。
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長次郎の妻の祖父
❙田中宗慶 (たなか・そうけい)
天文四年(1535年) ― 文禄四年(1595年) / 六十歳
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初代
❙長次郎 (ちょうじろう)
生年不詳 ― 天正十七年(1589年) / 享年不詳
樂焼の創始者。
千利休の指導のもと、わび茶の精神を体現する茶碗を制作。
長次郎の作品は手捏ねによる素朴で力強い造形と、黒樂や赤樂の深みのある釉調が特徴でその端正で簡潔な美は茶道の精神と深く結びつき今日の樂焼の基礎を築き一子相伝のその技は歴代に受け継がれ今日に至る。
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田中宗慶の子
❙庄左衛門・宗味 (しょうざえもん・そうみ)
生没年不詳
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二代
❙樂常慶 (らく・じょうけい)
生没年不詳 ― 寛永十二年(1635年) / 享年不詳
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三代
❙樂道入/ノンコウ (らく・どうにゅう)
慶長四年(1599年) ― 明暦二年(1656年) / 五十八歳
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四代
❙樂一入 (らく・いちにゅう)
寛永十七年(1640年) ― 元禄九年(1696年) / 五十七歳
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五代
❙樂宗入 (らく・そうにゅう)
寛文四年(1664年) ― 享保元年(1716年) / 五十三歳
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六代
❙樂左入 (らく・さにゅう)
貞享二年(1685年) ― 元文四年(1739年) / 五十五歳
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七代
❙樂長入 (らく・ちょうにゅう)
正徳四年(1714年) ― 明和七年(1770年) / 五十六歳
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八代
❙樂得入 (らく・とくにゅう)
延享二年(1745年) ― 安永三年(1774年) / 三十歳
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九代
❙樂了入 (らく・りょうにゅう)
宝暦六年(1756年) ― 天保五年(1834年) / 七十九歳
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十代
❙樂旦入 (らく・たんにゅう)
寛政七年(1795年) ― 安政元年(1854年) / 五十九歳
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十一代
❙樂慶入 (らく・けいにゅう)
文化十四年(1817年) ― 明治三十五年(1902年) / 八十六歳
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十二代
❙樂弘入 (らく・こうにゅう)
安政四年(1857年) ― 昭和七年(1932年) / 七十六歳
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十三代
❙樂惺入 (らく・せいにゅう)
明治二十年(1887年) ― 昭和十九年(1944年) / 五十三歳
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十四代
❙樂覚入 (らく・かくにゅう)
大正七年(1918年) ― 昭和五十五年(1980年) / 六十二歳
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十五代
❙樂直入 (らく・じきにゅう)
昭和二十九年(1949年) ― 年(年) / 歳
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当代
❙樂吉左衛門 (らく・きちざえもん)
昭和五十六年(1981年) ― 年(年) / 歳
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❙樂吉左衛門 ~ ゆかりの人々 ~
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絵師
❙長谷川等伯 (はせがわ・とうはく)
天文八年(1539年) ― 慶長十五年(1610年) / 七十二歳
安土桃山時代から江戸時代初期に活躍した日本を代表する絵師。
石川県七尾市に生まれ、京都で活動を広げました。桃山時代の豪壮な画風を受け継ぎながらも、独自の繊細で幽玄な表現を確立しました。代表作には「松林図屏風」や「智積院障壁画」などがあり、水墨画や彩色画の両方で卓越した技量を発揮しました。狩野派と並ぶ長谷川派を確立し、後世の日本美術に大きな影響を与えました。
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数寄者
❙本阿弥光悦 (ほんあみ・こうえつ)
永禄元年(1558年) ― 寛永十四年(1637年) / 七十九歳
江戸時代初期の芸術家。書、陶芸、漆芸など多岐にわたる分野で才能を発揮。
刀剣鑑定を家業とする本阿弥家に生まれ、特に書道では独自の流麗な書風を確立し後の書流に大きな影響を与えました。また樂焼の茶碗制作にも携わり名品を生み出す。
京都・鷹峯に芸術村を築き、多くの文化人と交流しながら、日本美術の発展に貢献。
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樂家三代道入の弟
❙樂道楽 (らく・どうらく)
生没年不詳
樂家三代/道入の弟で江戸時代初期に活躍した樂焼の陶工。兄/道入の影響を受けながらも、独自の感性を生かした茶碗作りを行い、樂焼の発展に貢献。樂焼特有の手捏ね技法を駆使し、力強さと柔らかさを併せ持つ作風が特徴とされています。
歴代樂家の中ではあまり知られていないものの、樂焼の多様性を広げた存在として評価され、その作品は多くの茶人に愛され日本陶芸史に名を残す名工の一人。
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玉水焼初代
❙一元 (いちげん)
寛文二年(1662年) ― 享保七年(1722年) / 六十歳
一元は、樂家4代/一入の実子として生まれたが父の一入は雁金屋尾形家から養子を迎え、この人物が樂家5代/宗入となりました。成人後、京都大山崎で玉水焼を創始。
利休の茶の湯の精神を受け継ぎ素朴で味わい深い釉薬の表現や温かみのある造詣が特徴で一元の作品は今日でも多くの茶人に愛され日本陶芸史に名を残す名工の一人。
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陶工・画家
❙尾形 乾山 (おがた・けんざん)
寛文三年(1663年) ― 寛保三年(1743年) / 八十一歳
江戸時代中期の陶工で画家/尾形光琳の弟。京焼の名工で琳派の華やかな意匠を陶芸に取り入れた独創的な作風を確立。色絵や金銀彩を用いた雅やかな作品が特徴で、茶陶や食器など多岐にわたる作品を制作。特に書画との融合を図った意匠は高く評価され、日本の陶芸史に大きな影響を与えた。
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当代吉左衛門の弟
❙樂 雅臣 (らく・まさおみ)
昭和五十八年(1983年) ― 年(年) / 歳
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