
千家十職
09.中村宗哲 [塗師]
❙はじめに ~ 中村宗哲 ~
「千家十職」とは、千家好みの茶道具の制作を業とする十家の職家であり、日本美術(伝統工芸)の中でも特に重要な職人技を受け継いできた家々です。その技法は代々継承され、茶の湯の美と職人の美が融合した作品を生み出しています。
その千家十職の一つである中村家は、三千家御用達の「塗師」として「棗」「香合」「棚物」などをはじめ代々家元の「御好物」などの制作を業とする職家です。
中村家の漆芸作品は、茶の湯の精神を体現し、漆ならではの深みのある光沢と、細やかな意匠が特徴です。漆塗りは、単なる装飾だけでなく、道具の耐久性を高め、手触りや使用感にも影響を与えるため、茶の湯の実用性と美意識を兼ね備えた仕上げが求められます。中村宗哲の名を冠する塗物は、茶席において格式を備えた道具として広く知られています。
中村家は、茶の湯の発展とともに技術を磨き、千家好みの塗物を代々にわたり制作してきました。その作品は、時代の変遷を経ながらも、伝統の技法を守り続け、茶の湯の世界に欠かせない存在となっています。
本項では中村家の歴史とそのあゆみについてご紹介します。
それでは「塗師/中村宗哲」について詳しく見ていきましょう。
❙中村宗哲 ~ あゆみ ~
「中村家初代/中村宗哲」の父「中村家元祖/覚法源想信士」は『中村式部少輔(孫・平次)』の家臣であったと伝えられています。
『「大阪夏の陣(慶長二十年(1615年))」の合戦をうとみ、京都の武者小路へ隠栖した』
との「中村家三代/中村宗哲」の後室の家伝に記されています。
また中村家の過去張にはは慶長十五年(1610年)没の『肇智妙春信女』の戒名が記されており、これが「中村家元祖/覚法源想信士」の母と思われる。
「中村家元祖/覚法源想信士」はかつて『豊臣秀吉(1536年-1598年)』に仕えた武士として茶の湯に親しんでいたと考えられますが、後に徳川家の世となり豊臣家との関わりを公には語らなかったと推察され、詳しい伝記は残されておらず、一条通の北、市中の山居の趣を持つ武者小路に居を構え、茶の湯を嗜みながら日々を過ごしたとされています
元和三年(1617年)にその息子「中村家初代/中村宗哲」が誕生。のちに塗師としての道を歩み、千家に仕えることとなります。
「中村家元祖/覚法源想信士」は承応三年(1654年)に没し、室である「月山秀悦信尼」は貞亨三年(1686年)九十歳でその生涯を終えました。
当初の中村家は蒔絵を施した家具や調度品などを制作する「塗師」としての技を持ち、広く塗物を手がけていました。しかし、明治時代以降は茶道具専門の「型物塗師」としての制作に特化し、千家好みの塗物を手がける職家としての地位を確立しました。
現在に至るまで、中村家は代々千家に仕え、茶の湯の伝統を支える塗師としての役割を果たし続けています。