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千家十職

09.中村宗哲 [塗師]

❙はじめに ~ 中村宗哲 ~

千家十職の一家。

三千家御用達の『塗師』として「棗」や「香合」をはじめ代々家元の「御好物」などの制作を業とする職家。​

本項では「中村家」のあゆみをご紹介したいと思います。

❙中村宗哲 ~ あゆみ ~

「中村家初代/中村宗哲」の父「中村家元祖/覚法源想信士」は『中村式部少輔(孫・平次)』の家臣であったが

『「大阪夏の陣(慶長二十年(1615年))」の合戦をうとみ、京都の武者小路へ隠栖した』

との「中村家三代/中村宗哲」の後室の家伝があり、また『中村家』の過去張の初めには慶長十五年(1610年)没の『肇智妙春信女』の戒名がありそれが「中村家元祖/覚法源想信士」の母と思われる。

『豊臣秀吉(1536-1598)』の武士として茶の湯に心酔していたであろうが、後に『徳川家』の世となり『豊臣家』との関わりを口伝することを控えたであろう詳しい伝記は残されておらず、一条通の北、市中の山居めいた武者小路に居を定めて茶の湯者の日々を過ごしたと思われる。

元和三年(1617年)に息男「中村家初代/中村宗哲」が生まれる。そして承応三年(1654年)「中村家元祖/覚法源想信士」は没し、室の「月山秀悦信尼」は貞亨三年(1686年)九十歳の天寿を全う。

 

当初の『中村家』は蒔絵を施した家具などの製作(通例「塗師」)も行っていたが明治時代以降は茶道具の『塗師(「型物塗師」)』専業となっている。

❙中村宗哲 ~ 歴代 ~

初代

❙中村宗哲 (なかむら・そうてつ)

元和三年(1617年) ― 元禄八年(1695年) / 七十九歳

二代

❙中村宗哲 (なかむら・そうてつ)

寛文十一年(1671年) ― 宝永三年(1706年) / 三十六歳

三代

❙中村宗哲 (なかむら・そうてつ)

元禄十三年(1699年) ― 安永五年(1776年) / 七十七歳

四代

❙中村宗哲 (なかむら・そうてつ)

享保十一年(1726年) ― 寛政三年(1791年) / 六十四歳

五代

❙中村宗哲 (なかむら・そうてつ)

明和元年(1764年) ― 文化八年(1811年) / 四十八歳

六代

❙中村宗哲 (なかむら・そうてつ)

寛政四年(1792年) ― 天保十年(1839年) / 四十六歳

七代

❙中村宗哲 (なかむら・そうてつ)

寛政十年(1798年) ― 弘化三年(1846年) / 四十九歳

八代

❙中村宗哲 (なかむら・そうてつ)

文政十一年(1828年) ― 明治十七年(1884年) / 五十七歳

九代

❙中村宗哲 (なかむら・そうてつ)

安政三年(1856年) ― 明治四十四年(1911年) / 五十六歳

十代

❙中村宗哲 (なかむら・そうてつ)

文久二年(1862年) ― 大正十五年(1926年) / 六十五歳

九代/宗哲・十代尼宗哲の長男

❙中村哲太郎 (なかむら・てつたろう)

生没年不詳

十一代

❙中村宗哲 (なかむら・そうてつ)

明治三十二年(1899年) ― 平成五年(1993年) / 九十五歳

当代

❙中村宗哲 (なかむら・そうてつ)

昭和四十年(1965年) ― 年(年) / 歳

十二代

❙中村宗哲 (なかむら・そうてつ)

昭和七年(1932年) ― 平成十七年(2005年) / 七十三歳

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