
茶道の歴史
01.茶の起源 ~ 紀元前 ~
❙はじめに ~ 茶の起源 ~
「茶道の歴史」では茶道にて喫する抹茶(茶)の起源から今日までを10の項目(時代)に分け茶道においての重要な史実をピックアップしご紹介したいと思います。
中国から渡ってきた「茶」がどのような人々や時代、出来事を経て今日の「茶道」となったのかこれから紹介します茶道の歴史を知ることでこれから茶道を修練する中での「なぜ?」に対するさまざまな背景が見えることとなります。
第1/10項として本ページでは抹茶(茶)の起源まで遡り茶道の出発点としてご紹介したいと思います。
❙茶の起源 ~ 茶は5,000年前の医薬品? ~
抹茶(茶)の起源を調べるには抹茶(茶)」に精製される前の「茶(茶葉)」の歴史から調べる事となり、そのの起源を知るには古代/中国における神話を知ることからとなります。
歴史上「茶」が登場するもっとも古いものには古代/中国の神話に登場する三皇五帝の一人で医療(漢方)や農耕などの祖(神)であり「中国文化の源」とされる伝説の帝王「神農大帝」の神話とされています。
その神話の中で『神農大帝』は「百草の滋味を嘗め、一日に七十毒に逢う」とされ、自らさまざまな野草を食し毒に侵され、その解毒に「荼」という直物を用いたと伝えられる。
このことから茶の発見(起源)は紀元前2700年前頃の神農時代であり、茶は飲むものではなく「茶の葉」を食す「薬」として用いられていたことがわかる。
その後の中国/漢王朝時代(紀元前206-220)に記されたという本草書(医学書)である「神農本草経(著者不詳)」には三百六十五品の薬物を上中下三類に分け,それぞれ「名称」「気味(薬性)」「薬効」などを記してあり、その中で『茶』については「茶味苦、飲之使人益思、少臥、軽身、明目 (茶の味は苦く、飲むと思考を深め、体は軽くなり睡眠が少なく目も覚める)」との記述がありこの頃には茶は薬として用いられていたことが推測できる。
❙ 備 考 ❙
この頃は今日の『茶』という文字がまだ確立されていなかったために『苦菜』を意味する『荼』の文字を使っている。また『荼』というものが現在の『茶』と同じであるという確証はないが次代を経て文字としても『茶』に置き換わっていることから『茶』と推測することができる。
❙茶の登場 ~ 正史における茶の初登場 ~
前項の事柄については神話であるがここで紹介するのは正史における「茶」の登場である。
今日において「茶」に関する世界最古の文献とされているものは今から約2000年前(紀元前59年頃)、中国/漢王朝時代(紀元前206-220)の『[文学者]王褒(生年不詳)』が記した主人が奴隷を買うために両者の間で交された契約文章である『[戯文]僮約』において「武陽荼を買う(武陽に行き荼を買ってくる)」「烹荼、具を尽くす(茶の道具を洗い、整える)」とあり。
この記述によると当時「茶」の売買が行われていた事や使用人(奴隷)を雇う立場にあった人々が、日常的に「茶」を飲んでいたことが推測できる。
また同書には「茶」に関する記事が書かれており「茶」を飲む習慣はその頃に中国の西南部に位置する四川省付近ではじまったことがわかる。
❚ 備 考 ❚
当時の『茶』は「茶の葉」を蒸して固めた『団茶(餅茶)』であったと考えられる。
『[戯文]僮約』の中でも前項の神話と同じように『苦菜』を意味する『荼』の文字が用いられている。
❙茶の発祥地 ~ 茶はどこで生まれたのか? ~
前項にて正史における「茶」の登場がはっきりとしたがここでは当時その「茶」の木である「茶樹」がどの地域にて発祥したのかをご紹介していきます。
「茶樹」の起源(発祥地)には多くの諸説があるが、中国/唐代(618-907)の『[文筆家]陸羽(733-804)』が書いた三巻十章から成る「茶」に関する世界最古の書物である『[茶書]茶経』から推測することができる。
その『[茶書]茶経』の巻初には「茶者南方之嘉木矢(茶は南方の嘉木なり)」と記されており、紀元前に中国/西南部に位置する雲南省の西南地域で初めて「茶樹」が発見されたという説が有力とされている。
他の原産地にはインド/北東部のアッサム地方やこれに接する中国/西南部の四川省周辺であったとされ、前述の中国/西南部の雲南省を含めたこの3つの地域は東アジアの「三日月地帯(東亜半月孤)」と呼ばれている。
❙ 備 考 ❙
・『茶樹』の起源(発祥地)については現在においてもさまざまな学者達による研究を行っており、確証を得るものは無く多くの諸説が存在する。
・中国/西南部の雲南省はメコン川の上流にあり、ミャンマー、ラオス、ベトナムと隣接する土地で現在も『茶』の古樹が多く見られ、樹齢800年の『茶樹』があるとされる。