top of page
2.png

茶室と露地

01.茶室とは?

❙はじめに ~ 茶室とは? ~

「茶室と露地」では、『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』が生み出した茶の湯の空間美と、その精神性について、全5項目にわたり解説し、茶室と露地の役割や歴史、そしてそこに表現される日本の美意識を詳しくご紹介します。

「茶室とは?」では、茶の湯の本質を体現する空間としての茶室について、その歴史や役割を紐解きます。茶室は単なる茶を点てるための場所ではなく、亭主と客が心を通わせる場であり、一期一会の精神を体現する空間です。また、華美を排し、わび・さびの美意識を反映させることで、日本独自の「用の美」を築き上げました。

「茶室とは何か?」その本質に迫り、茶の湯が求める理想の空間について探っていきます。

それでは、「茶室とは?」について詳しく見ていきましょう。

❙茶室とは? ~ 茶室とは? ~

茶室とは、茶の湯を行うために設けられた建物であり、付随する露地とともに一体となって構成される空間です。

茶室は、ただ単に茶を点てる場所ではなく、亭主と客が互いに心を通わせ、一期一会の精神を体現する場であり、今日では世界に誇る日本の建築技術の集大成ともいえる存在となっています。

茶室には、大きく分けて 「書院造の茶室」 と 「草庵茶室」 の二つの形式があります。

❙書院茶室❙

 

書院茶室は、もともと武家や公家の屋敷の一部として設けられた形式で、格式が高く広々とした空間が特徴です。

掛軸や調度品が整えられ、当時の上流階級の社交の場としての要素を強く持っていました。貴族の住宅様式である書院造を基に作られた茶室であり、中国の唐風建築を日本で発展させたものです。書院造は、茶道具や書画などの飾り物を置くための床の間や棚、付書院などを備えており、それらの装飾が空間の格式を高めていました。

もともとお茶を振る舞う部屋に徐々に茶道具や書画などの飾り物が置かれ、それらを鑑賞しながらお茶を楽しむ文化が発展しました。こうした流れの中で、床の間や違い棚、付書院などが部屋に加えられ、やがて「書院茶室」と呼ばれるようになります。

書院茶室では、単に茶を点てる場としての機能だけでなく、空間そのものの美しさや格式を楽しむ要素が重視されました。

❙草庵茶室❙

 

書院茶室に対し、草庵茶室は、「わび茶(草庵茶)」の精神を反映し、極限まで無駄を省いた空間として生まれました。四畳半以下の狭い空間が多く、躙り口を設けることで、身分を超えて亭主と客が対等な立場で茶を交わすことができるようになっています。この草庵茶室の思想は、後の日本建築や美意識にも多大な影響を与え、茶の湯のあり方を大きく変えました。

書院茶室が格式を重んじた上流階級の茶の湯であったのに対し、草庵茶室はより簡素で精神性を重視した空間です。優雅な書院茶室とは異なり、当時の民家に使われていた丸太や竹、土壁といった自然のままの素材を用い、侘びた趣を取り入れたのが特徴です。

屋根は草葺き、壁は土壁、採光のための下地窓を設けるなど、華美な装飾を一切排した空間は、侘びの美学を体現するものとなりました。

さらに、茶室の広さも大きな特徴の一つです。書院茶室のように広々とした空間ではなく、二畳や三畳といった極めて狭い空間を基本とし、亭主と客が近い距離で向き合うことで、より深い交流が生まれるように工夫されています。

こうした草庵茶室の形式は、今日に至るまで、茶の湯の本質を象徴する空間として受け継がれています。

千利休が生み出した草庵茶室は、単なる建築様式にとどまらず、茶の湯の精神そのものを具現化したものといえるでしょう。簡素ながらも深い味わいを持つこの茶室のあり方は、現代においても日本の美意識の根幹の一つとして息づいています。

 

​茶室は、単なる建築物ではなく、亭主のもてなしの心が随所に込められた「空間の芸術」です。光と影の繊細な使い方、床の間の設え、道具の配置、そして露地の佇まいに至るまで、すべてが調和を生み出すために計算され、茶の湯の精神を体現する場として設計されています。

茶室は、亭主と客が心を通わせ、一期一会の精神を深く感じるための特別な空間であり、その構成やしつらえには、日本の美意識や精神文化が凝縮されています。

茶の湯を知る上で、茶室の意味を理解することは非常に重要です。これから茶室の構成や機能を詳しく見ていきながら、その役割や美意識についてさらに深く学んでいきましょう。

❙茶室とは? ~ 間取り ~

茶室の間取りには「床」「出入口」「畳の数(広さ)」「炉の切り方」などの要素によってさまざまな形があり、茶の湯の流派や目的に応じて異なる趣を持ちます。

一般的には「四畳半」を基本とし、それより狭いものを「小間(こま)」、広いものを「広間(ひろま)」と分類します。

なお、「四畳半」の茶室は「小間」にも「広間」にも属する場合があり、流派や用途、設計によってその扱いが変わります。

「四畳半」という間取りは『[茶祖]村田珠光(1423年-1502年)』が創意し、後に『[茶人]武野紹鷗(1502年-1555年)』が茶の湯のために独立した茶室として採用したことで、今日の茶室の原型が形作られました。この時点で、書院造りの影響を受けた格式ある空間から、より草庵に近い簡素な造りへと変化していきました。

 

『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』は亭主と客人の親密度を深めることを目的として、さらに草庵の趣を強めた「小間」を好みました。

「四畳半」よりさらに狭い「三畳」や「二畳」の茶室を考案し、究極的には客の座る「一畳」と点前をするための「台目畳」だけで「一畳台目」という極小の草庵茶室を生み出しました。

これにより、「わび茶」の精神が一層洗練され、茶室が単なる茶を楽しむ場から、精神性を重視した場へと発展しました。

前項で述べたように茶室には大きく分けて、広間の「書院茶室」と小間の「草庵茶室」があり、今日一般的に「茶室」と呼ばれるものは「草庵茶室」を指すことが多い。

bottom of page