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茶室と露地

03.床の間

❙はじめに ~ 床の間 ~

「茶室と露地」では、『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』が生み出した茶の湯の空間美と、その精神性について、全5項目にわたり解説し、茶室と露地の役割や歴史、そしてそこに表現される日本の美意識を詳しくご紹介します。

「床の間」では、茶室における床の間の役割と、その意義について解説します。

床の間は、茶席においてもっとも重要な空間の一つであり、掛け軸や花入れを設えることで、その場の趣を決定づけます。特に、掛け軸に書かれる禅語や書画は、亭主の心遣いや茶会の趣旨を伝えるものであり、床の間そのものが「もてなしの心」を表す場となっています。

茶室における床の間の意味を深く理解し、そこに込められた精神を紐解いていきましょう。

それでは、「床の間」について詳しく見ていきましょう。

❙床の間 ~ 床の間とは? ~

今日、「床の間」といえば、掛物や花入を飾る「床」のみを指すことが一般的ですが、本来は書院造における格式を示す空間全体を指します。

具体的には、床を中心に、採光を目的とする「付書院」、その反対側に設けられる「違棚」や「袋棚」などを含めて「床の間」と称されていました。

書院造の間取りでは、「床の間」のある側を「上座」、その反対側を「下座」とし、江戸時代以前の大名屋敷や城郭の御殿においては、「上座」を「上段」、それ以下を「中段」「下段」などと称していました。

茶室においても、これらの伝統的な形式を継承しながら、わび茶の精神に基づき、より簡素で機能的な床の間へと変化していきます。

❙付書院❙

 

「付書院」とは、和室や床の間の脇に設けられる書院の一種で、採光を目的とする「平書院」と、障子と棚板で構成された「付書院」の2種類があります。南北朝時代(1336-1392)には、文箱などを置いて鑑賞するために設けられ、その後、書院造が発展するにつれて格式ある空間の一部として整えられるようになりました。

❙脇床❙

 

脇床とは、床の間の主たる「床」に対して補助的に設けられた空間を指します。

格式の高い書院造では、違棚や袋棚が脇床として配置されることが多く、床の間の装飾性や機能性を高める役割を担っています。一方、茶室ではより簡素に設えられ、主たる床の間を引き立てるための控えめな存在として扱われます。

特に大名屋敷などでは、身分の違いに応じて脇床の設計にも差が見られ、格式の象徴としての意味合いが強調されていました。

書院造の格式を持つ広間の茶席では脇床が設けられることもありますが、草庵茶室においてはわび茶の思想に基づき、より簡素な形へと省略される傾向があります。

茶室の床の間は、書院造の伝統を受け継ぎながらも、わび茶の思想により簡素で研ぎ澄まされた空間へと変化しました。

茶室における床の間は、単なる飾りの場ではなく、亭主の心を映す場でもあり、茶の湯の世界観を具現化するために欠かせない要素となっています。

❙床の間 ~ 歴史 ~

❙起源❙

床の間の起源は仏教に由来し、もともとは仏家において仏像を安置し礼拝するための「押板」や「棚」が設けられていた。これが次第に武家社会にも広がり、武家では仏画や仏具を飾る「床飾」が行われるようになったとされる。

室町時代の書院造では、壁に掛物を掛け、三具足(花瓶・香炉・燭台)や置物を飾る場が「押板」に相当し、「床」自体は貴人が座るために設けられた一段高い「上段の間」を指していた。この頃の床の間は、単なる装飾の場ではなく、身分や権力を象徴する空間としての意味を持っていた。

やがて「上段の間」と「押板」が融合し、領主や当主が名物道具を飾る場として発展したことで、床の間は格式を示す空間として確立された。このように、床の間は書院造の発展とともに、武家においても重要な空間の一部となっていった。

​❙発展❙

床の間は書院造の格式を持つ広間だけでなく、茶の湯と禅の思想が結びつくことで茶室にも取り入れられるようになった。戦国時代、『[茶人]武野紹鷗(1502年-1555年)』が考案した「四畳半」の茶室では、床の間の大きさは二尺三寸と小型化され、「壁は張付け」「床縁は黒塗」とすることが厳格に定められた。

その後、『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』が茶の湯を「わび茶」として大成させる中で、茶室の草庵化が進み、それに伴い床の間の構造も簡素になっていった。

床の間の間口は五尺、四尺と縮小され、床柱や床縁は黒塗りから自然な丸太へと変化し、壁は土壁とすることで、よりわびた風情が強調された。こうして、床の間は格式を示す場から、茶の湯の精神を表現する場へとその役割を変えていった。

❙江戸時代❙

江戸時代には、床の間は武家屋敷のみならず、一部の庶民の家屋にも取り入れられるようになり、身分の高い客人を迎え入れるための「座敷飾」が行われた。床の間に掛軸を掛け、季節の花を生けることが、もてなしの一環として重視されるようになる。

明治時代以降は、さらに多くの家庭に「客間」や「応接間」として床の間が設けられ、和室における象徴的な存在となった。

❙近代❙

近代に入り住宅の西洋化が進んだことで、掛軸を掛ける習慣が薄れ、畳のある部屋自体が減少したことから、床の間の存在感は徐々に失われていくこととなる。今日では一般住宅における床の間の役割は縮小しつつあるが、茶室においては依然として重要な存在である。

 

 

茶室における床の間は、客人が最初に目を向ける場所であり、掛物や花を飾ることで亭主のもてなしの心や季節感を表現する。また、光と影の演出によって奥行きを感じさせる工夫がなされ、茶会全体の雰囲気を決定づける要素ともなる。

床の間は、仏家の礼拝空間から発展し、武家の格式を示す場、そして茶室においてはわび茶の精神を表現する場へと変遷を遂げてきた。現代ではその存在が希薄になりつつあるものの、茶の湯においては今なお重要な役割を果たし続けている。

❙床の間 ~ 位置 ~

書院造においては、床の間の配置には厳格な形式が定められており、正面奥の左側に「床の間」、右側に「違い棚」、さらに「床の間」の左の縁側面に「付書院」を設けるのが正式とされていました。この配置を「本勝手」と呼び、反対に「床の間」の左側に「違い棚」、右側に「付書院」を配置するものは「逆勝手」と称されます。

書院造の床の間は、格式を示す重要な空間であり、武家や公家の邸宅ではこの配置が伝統的に守られてきました。

一方、茶室では亭主が北に向かって点前を行い、床の間も北に設け、東から陽の光を取り入れる構造が理想とされてきました。これにより、室内の光と影のバランスが生まれ、静かで落ち着いた雰囲気を醸し出します。

茶室の床の間の位置にはさまざまな形があり、その配置によって茶室の趣やもてなしの形式が変わります。

 

代表的な床の間の配置として、以下の三つが挙げられます。

❙上座床❙

 

点前座から見て正面右側(東側)に床の間を設ける形式で、「本床」とも呼ばれます。茶室における最も一般的な配置であり、格式のある席や正式な茶会などに用いられることが多いです。

❙下座床❙

 

点前座から見て後面右側(東側)に床の間を設ける形式です。上座床に比べ、やや控えめな配置であり、より茶の湯の精神に沿った形とされています。空間の奥行きを活かし、床の間を引き立てる構造となります。

❙亭主床❙

 

点前座のすぐそばに床の間を設ける形式で、亭主が直接床の間の装飾を感じながら点前を行うことができます。もともとは、勝手口(茶道口)から遠く、客座の方に床の間を配置し、客人が掛物や花を拝見しながら茶席の雰囲気を味わうよう設計されていました。しかし、茶室の発展とともに、床の間の位置も多様化し、亭主がより茶の湯の空間を自らの手で整える「亭主床」という形も生まれました。この形式は、「茶室全体をもてなしの空間とする」という利休の思想を反映しています。

茶室の床の間は、当初は勝手口から遠く、客座の側に設けられることが基本でした。しかし、茶の湯が単なる形式ではなく精神性を重視した文化として発展していく中で、その配置も多様化していきました。

書院造においては格式の象徴であった床の間も、茶室においてはより自由な配置が考案され、「わび茶」の精神に沿った簡素で機能的な形へと変化していきました。

今日も、茶室における床の間の配置には流派や目的によって様々な形式があり、それぞれに深い意味が込められています。

❙床の間 ~ 構成 ~

茶室における床の間は、単なる装飾の場ではなく、亭主のもてなしの心や茶の湯の精神を表現する重要な空間です。その構成は、「床柱」「相手柱」「床框」「落掛」などの要素から成り立ち、それぞれが空間の調和と格式を高める役割を担っています。

一般的な茶室の床の間は、「床柱」と「相手柱」の間に一段高い畳面の「床」を作り、その段差を補うために「床框」を設けます。また、上部には天井から吊るされた小壁を支える「落掛」が取り付けられ、床の間全体の構造を引き締める役割を果たします。このような形式の床の間を「本床」と称し、茶室の伝統的な設えとされています。

❙床柱❙

「床柱」とは、床の間の脇に立てられる化粧柱であり、「床」を挟んだ反対側の柱を「相手柱」と呼びます。もともと書院造では、床柱は角柱が正式な形とされていましたが、『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』が茶室の草庵化を推進する中で、より素朴で自然な趣を重んじるために丸太を用いることが一般的になりました。

当初、「床柱」と「相手柱」は対として考えられていましたが、江戸時代(1603-1868)頃から床柱の意匠的な重要性が増し、茶室の趣を引き立てるために景色のある材木や銘木が使われるようになりました。今日においても、茶室における床柱の選定は亭主の美意識を表すものとされ、細部にまでこだわりが込められています。

​❙床框❙

「床框」は、床の間と前面の畳の間に段差を作る際に、その境界に設けられる横木(平行材)のことを指し、床の間の縁を美しく引き締め、格式を高める要素となります。かつて四畳半の茶室では、「床框」の下に一寸(約3cm)ほどの「押板」を設けることが一般的でした。しかし、時代が進むにつれて「押板」は省略され、現在では畳に直接「床框」を設置する形式が一般的となりました。床框の存在により、床の間の空間が一層引き締まり、茶室の趣を際立たせます。

❙落掛❙

「落掛」は、床の間の正面上部に、床柱と相手柱の間に渡して設けられる横木のことを指します。この横木は、天井から吊るされた小壁を受け止める役割を持ち、床の間の構造的な安定性と美しさを保つために欠かせない要素となっています。落掛の設置により、床の間の全体のバランスが整い、床柱や床框とともに、空間の格式を高める効果を生み出します。

茶室における床の間は、単なる装飾空間ではなく、亭主のもてなしの心を映し出す場でもあります。掛物や花を飾ることで、その場の趣や季節感を演出し、茶会の雰囲気を決定づける役割を果たします。

また、「床柱」「床框」「落掛」などの構成要素には、茶道の精神が宿っており、これらの要素が調和することで、茶の湯の美しさが形作られていくのです。茶室の空間における床の間の存在は、単なる設えではなく、日本の美意識や精神文化を反映した象徴的なものといえるでしょう。

❙床の間 ~ 形式 ~

当初、茶室における床の間は「一間床」が主流でした。しかし、『千家開祖 / 抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』による茶室の草庵化が進むにつれ、茶室全体がより簡素でわびた空間へと変化する中で、床の間の間口も次第に狭められていきました。

また、それまでの「角柱」であった床柱や床框には「丸太」が用いられるようになり、壁もそれまでの「紙張り」から「土壁」へと改められました。これにより、より自然な風合いを持つ、わび・さびの精神が反映された空間へと変化していきます。

その後、『[利休十哲] 堺千家 / 千紹安(道安)(1546年-1607年)』が「台目床」を創案し、小間の茶室において用いられるようになりました。以降、茶室の床の間は多様化し、その大きさ、床面の種類、形式に応じてさまざまな工夫が凝られるようになりました。

❙床の大きさ❙

茶室における床の間の間口には、以下のような種類があります。​

[枡床]

▶間口91~96cm

[台目床]

▶間口130~143cm

[六尺床]

▶間口182cm

[一間床]

▶間口191cm

[七尺床]

▶間口212cm

❙床面の種類❙

 

[畳床]

▶床面に畳を敷き、畳と床框の間に段差を設けない平一面の形式。

 

[板床]

▶床面に木板を張った形式で、格式のある広間茶室に多く見られる。

 

[土床]

▶床の上面や側面を壁土で塗り、その上から紙を貼った形式。
『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578年-1658年)』の好みとされ、『[茶室] 梅隠』がこの形式の床となっています。

❙床の形式❙

 

[踏込床]

▶床面と客座の畳の上面を平一面に揃えた床。『千家二代 / 千少庵(宗淳)(1546-1614)』の好みとされる。

 

[蹴込床]

▶​床框を設けず、床面と客座の畳との段差に蹴込板を設けた床。

 

[押床]

▶​間口に対し奥行が浅い蹴込式の床。

 

[祠床]

▶「落掛」と「壁止柱」がなく床の左右一方に袖壁をつけ、袖壁、上部及び内部の壁を壁土で塗った床。床の間口より床の奥行の方が広くなり「落掛」と「壁止柱」がなく洞窟のようになっています。

[龕破床]

▶​床の両袖に袖壁を付け、上部の壁・両袖の壁・内部の壁を壁土で塗った床。「龕破」とは仏像を祀る厨子が破れたような形状を意味する。

 

[室床]

▶床の入隅から廻縁などすべてを隠すように三方の壁及び天井まで壁土を塗りまわした床。『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』好みの床とされ『[国宝]待庵』がこの形式の床となっている。

[織部床]

▶​壁面の上部に少し浮かせる形で柱と柱の間に雲板を通し、壁に軸釘を打った床。『[大名/利休七哲]織部流開祖/古田重然(織部)(1544年-1615年)』の好みとされる。

[霞床]

▶​床の正面に富士の絵を掛け、その前に違棚を設けた床。『表千家七代/如心斎天然宗左(1705年-1751年)』の好みとされる。

[円窓床]

​▶床の正面の壁に障子や格子の丸窓を開けた形式。『[茶室] 時雨亭』や『[茶室] 皆如庵』などに見られる。

[塗廻床]

​▶床の入隅の柱を見えないようにし、土壁で塗り回した床。

[釣床]

​▶床框・床柱・落掛を設けず、天井から吊束を下げ、壁に軸釘を打った形式。

[円相床]

▶「落掛」と「壁止柱」はなく床の前面に円相の壁をつけた床。銀閣寺/東求堂『[茶室]洗月亭』が本歌とされる。

[壁床]

​▶床柱・床框・落掛を設けず、壁に軸釘だけを打った床。表千家「反古張席」、裏千家「今日庵」、武者小路千家の「行舟亭」などに見られる。

[置床]

▶​移動可能な床。壁床や釣床などと併用することも可能。

[袋床]

▶​床の左右の一方に蓮窓や下地窓を設けた袖壁を付けた床。

[原叟床]

​▶一畳大の地板の上に床柱を立て、下部を吹き抜けにした脇壁を付け、上部には落掛を入れた床。『表千家六代/覚々斎原叟宗左(1678年-1730年)』の好みと伝えられる。

[枡床]

​▶方形の地板に床柱を立て、上部には落掛を入れた床。『表千家六代/覚々斎原叟宗左(1678年-1730年)』の好みで聚光院「閑隠席」がこの形式を持つ。

[琵琶床]

​▶床の横脇の半間ほどを一段高くし、板を張った床。『表千家七代/如心斎天然宗左(1705年-1751年)』の好み。「松風楼」「雲龍軒」などに見られる。

茶室における床の間は、単なる装飾の場ではなく、亭主の美意識や精神性が表れる空間です。掛軸や花を飾ることで、その場の趣や亭主のもてなしの心を伝えるとともに、茶会全体の雰囲気を決定づける重要な要素となります。

茶室の床の間は、歴史の中で多様な形式が生まれながらも、今なお茶道の精神を象徴する重要な空間であり続けています。それぞれの形式が持つ独自の美と機能を理解することで、茶室の奥深い世界をより深く味わうことできます。

❙床の間 ~ 役釘 ~

茶室の床の間には、掛物や花入、茶道具などを掛けるための釘が設けられています。これらの釘は単なる装飾ではなく、茶室の機能や美意識を支える重要な要素となります。

茶道の歴史の中で培われた役釘の種類とその用途について詳しく解説します。

❙軸釘❙

[竹釘]

▶​床天井の廻縁の下に打ち込む竹製の釘。張付壁の場合は設けません。

[稲妻走釘]

▶​床天井の廻縁の下に仕組まれ、左右に移動できる釘。数個仕組むことで、二幅対や三幅対などの掛軸や大幅の掛軸にも対応できる。

[二重折釘]

​▶床天井の廻縁の下に設ける釘で、掛物を掛ける際に用いられる。

[走釘]

▶​織部床などに見られる雲板に仕組み、左右に移動できる釘。数個仕組むことで、二幅対や三幅対の掛軸や大幅の掛軸にも対応可能。

[折釘]

▶​織部床などに見られる雲板に設ける釘。掛物の位置を調整するために用いる。

❙役釘(花入や道具を掛ける釘)❙

[花釘]

▶​床柱に掛花入を掛けるための釘。広間には「太口」、小間には「細口」を設ける。

 

[無双釘(中釘)]

▶​床正面の中央に設けられ、掛花入を掛けるための釘。
古くは折釘を使用していたが、掛軸の裏を傷つけないよう釘先が出し入れできる無双釘が用いられるようになった。
釘先の形状には「丸」と「平」があり、表千家は「丸」、裏千家は「平」を使用。

 

[花蛭釘]

▶『花蛭釘』とは床の天井から釣花入を吊るすために設ける釘。
『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』の時代には床の中央に設けられていたが、現在では床の前後中央の左右一方に設けるようになった。流儀により設置位置や釘の向きが異なる。また、花入などの重量物を吊るすため、釘先は宛木を入れ金具で固定する栓差が用いられる。

[落掛釘]

▶吊花入を掛けるために落掛の中央正面(外側)または裏側(内側)に掛けるために設ける釘。『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』は内側に『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578年-1658年)』外側に設けたという。

[柳釘]

▶​初釜に飾る「結柳」を生ける青竹の花筒を掛けるための釘。小間では「楊枝柱」、広間では「床柱」や「入隅柱」に打つ。

 

[朝顔釘]

▶​床横の袖壁や下地窓などに花入を掛ける際に設ける釘。釘先が割足になっており、両側に開いて固定できる構造を持つ。

❙役釘(その他)❙

 

[稲妻釘(喚鐘釘/銅鑼釘)]

▶​脇床の天井に設け、訶梨勒や銅鑼、喚鐘などを吊るすための釘。重量物を吊るすため、釘先は宛木を入れ金具で固定する栓差が用いられる。

[撞木釘(喚鐘釘/銅鑼釘)]

▶​脇床の天井に設け、訶梨勒や銅鑼、喚鐘などを吊るす場合に使用される釘。重さに耐えられるよう、栓差で固定される。

茶室の役釘は、単なる実用的な金具ではなく、茶道の精神や美意識を支える重要な要素の一つです。掛物や花入を飾ることで、亭主のもてなしの心や季節感を表現し、茶会の趣を演出します。特に、花蛭釘や無双釘のように、設置位置や形状に流儀の違いがあるものは、茶道の歴史や文化を深く物語っています。

茶室における役釘の一つひとつには、伝統と機能性が息づいており、その役割を理解することで、茶の湯の奥深さをより深く味わうことができます。

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