
千家
千家
❙はじめに ~ 千家 ~
この度は、数ある茶道サイトの中から「茶道本舗和伝.com」にご訪問いただき、誠にありがとうございます。
本カテゴリ「千家」では、今日の茶道において重要な役割を担う「千家」について詳しく解説いたします。
「千家」とは、茶の湯を大成した『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』の道系を継承し、代々茶道の伝統を守り続ける家系の総称です。利休の精神を受け継ぎながらも、後に三つの家(三千家)に分かれ、それぞれが独自の流儀を築いていきました。流派は異なれど、三千家はそれぞれの形で茶道の伝統を守り、人々の心を結びつける役割を果たしています。
千家の茶の湯は『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)』一代で終わるものではなく、子孫や門弟たちによって脈々と継承され、時代とともに進化しながらも、その根幹となる精神は今も変わることなく広く伝えられています。
本カテゴリでは、「千家」の成り立ちからその歴史・系譜までを詳しくご紹介し、今日の私たちに茶道の精神を伝える千家の歩みを紐解いていきます。
それでは、千家の系譜から見ていきましょう。
❙千家 ~ 千家とは? ~
『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』が大成させた茶の湯の精神は、単なる茶を点てる技術にとどまらず、侘び・寂びの美意識を基盤とし、一期一会の心得やもてなしの精神を大切にするものでした。この教えは、『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)』の子・『千家二代/千少庵宗淳(1546年-1614年)』、そして孫である『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578年-1658年)』へと受け継がれ、時代の変遷を経ながらも本質を変えることなく継承されていきます。
『千家二代/千少庵宗淳』は、『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)』亡き後に千家を再興し、茶の湯の道統を守りながら、その基盤を築きました。そして『千家三代/咄々斎元伯宗旦』は、千家の精神をさらに深め、後に続く門弟や茶道の発展に寄与し、今日の茶道の礎を築いた重要な存在です。『千家三代/咄々斎元伯宗旦』の後、その教えは三人の息子へが創建した三千家へと分かれ、それぞれの流派として茶の湯の伝統が今もなお受け継がれていま
❙千家 ~ 三千家とは? ~
茶道の流派の内、『表千家』『裏千家』『武者小路千家』の三家を総じて『三千家』と呼びます。『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』の孫になる『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578年-1658年)』の三人の息子が『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)』の道統を継承し、三つの千家を形成したことに由来します。
その後、江戸時代中期、『表千家』の七代家元である『如心斎天然宗左(1705年-1751年)』が、
「千家を名乗るのは表千家・裏千家・武者小路千家の嫡子とし、二男三男にはこれを名乗らせない」
と定め、他の二家である裏千家、武者小路千家もこれを了承しました。
この取り決めにより、茶道において「千家」といえば、特定の三家に限定されることとなり、今日においても『三千家』と総称されています。
❙目次 ~ 千家 ~
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