
千家
05.裏千家 [今日庵]

❙はじめに ~ 裏千家 [今日庵] ~
裏千家は三千家の一つで独特のスタイルと哲学を持つ流派で、深い精神性と実践を重視し世界に向けて茶道の心を唱えている流派です。
本項では裏千家の建立から歴代の御家元についてご紹介します。
❙裏千家 [今日庵] ~ 裏千家とは? ~
『抛筌斎千宗易(利休)』の孫になる『千家三代/咄々斎元伯宗旦』の四男である『裏千家四代/臘月庵仙叟宗室』が父の隠居所を継ぎ『裏千家/今日庵』を創建。
『裏千家四代/臘月庵仙叟宗室』の兄である『表千家四代/逢源斎江岑宗左』が継承した『表千家/不審庵』に対し、通りからみて裏手にあったので『裏千家』と称され現在に至る。

❙裏千家❙
[所 在 地] 〒602-0061 京都市上京区小川通寺之内上る本法寺前町613番地
[連 絡 先] TEL 075-431-3111 (代) FAX075-441-2247
[公式 HP] http://www.urasenke.or.jp/
❙裏千家 [今日庵] ~ 今日庵とは? ~
『裏千家』の通称(庵号)である『今日庵~こんにちあん~』は裏千家内にある茶室であり、父『千家三代/咄々斎元伯宗旦』の隠居所として建てられた茶室である。
『今日庵』の庵号の由来は席開きの日に『千家三代/咄々斎元伯宗旦』の参禅の師である『[臨済宗大本山]大徳寺百七十世/清巌宗渭(1588-1661)』和尚を招いたのであるが刻限を過ぎても和尚は現れず『千家三代/咄々斎元伯宗旦』は所用があるためやむなく
「明日おいでください」
という伝言を弟子に残して出かけたがその数刻後に『[臨済宗大本山]大徳寺百七十世/清巌宗渭(1588-1661)』和尚が来席した際、茶室の腰張に
「懈怠比丘不期明日(遅刻するような怠け者の僧である私は、明日の事はお約束しかねます)」
と貼付け帰ったという。
その後帰宅後に、それを受けた『元伯宗旦』は
「一寸先は解らぬ人生に明日の約束」
を求めた自分を猛省し、直ちに清巌宗渭和尚の大徳寺を訪ね
「今日今日といいてその日を暮らしぬる、明日のいのちはとにもかくにも(明日の命もわからないのに、大切な今日をおろそかに暮らしているのは愚かなことでした。)」
と教訓と感謝を込めてこの歌を呈したことから『元伯宗旦』は『今日庵』と称したという。
また今日において『今日庵』の庵号は『裏千家』の屋敷全体ならびに機構の全体を指し、歴代の御家元の号として用いられている。
❙裏千家 [今日庵] ~ 御家元歴代 ~
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四代御家元
❙臘月斎 仙叟宗室 (ろうげつさい・せんそうそうしつ)
元和八年(1622年) ― 元禄十年(1697年) / 七十六歳
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五代御家元
❙不休斎 常叟宗室 (ふきゅうさい・じょうそうそうしつ)
延宝元年(1673年) ― 宝永元年(1704年) / 三十二歳
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六代御家元
❙六閑斎 泰叟宗室 (りっかんさい・そうしつ)
元禄七年(1694年) ― 享保十一年(1726年) / 三十三歳
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七代御家元
❙最々斎 竺叟宗室 (さいさいさい・ちくそうそうしつ)
宝永六年(1709年) ― 享保十八年(1733年) / 二十五歳
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八代御家元
❙又玄斎 一燈宗室 (ゆうげんさい・いっとうそうしつ)
享保四年(1719年) ― 明和八年(1771年) / 五十三歳
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九代御家元
❙不見斎 石翁宗室 (ふけんさい・そうしつ)
延享三年(1746年) ― 享和元年(1801年) / 五十六歳
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十代御家元
❙認徳斎 柏叟宗室 (にんとくさい・そうしつ)
明和七年(1770年) ― 文政九年(1826年) / 五十七歳
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十一代御家元
❙玄々斎 精中宗室 (げんげんさい・そうしつ)
文化七年(1810年) ― 明治四十年(1877年) / 六十八歳
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十二代御家元
❙又玅斎 直叟宗室 (ゆうげんさい・そうしつ)
嘉永五年(1852年) ― 大正六年(1917年) / 六十六歳
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十三代御家元
❙圓能斎 鉄中宗室 (えんのうさい・てっちゅうそうしつ)
明治五年(1872年) ― 大正十三年(1924年) / 五十三歳
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十四代御家元
❙無限斎 碩叟宗室(淡々斎) (むげんさい・そうしつ・たんたんさい)
明治二十六年(1893年) ― 昭和三十九年(1964年) / 七十二歳
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十五代御家元
❙鵬雲斎 汎叟宗室(玄室大宗匠) (ほううんさいそうしつ・げんしつだいそうしょう)
大正十二年(1923年) ― 年(年) / 歳
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当代御家元
❙坐忘斎 玄黙宗室 (ざぼうさい・そうしつ)
昭和三十一年(1956年) ― 年(年) / 歳
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次代御家元(若宗匠)
❙丹心斎 宗史 ()
平成二年(1990年) ― 年(年) / 歳
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