
千家
05.裏千家 [今日庵]

❙はじめに ~ 裏千家 [今日庵] ~
「千家」では、今日の茶道において重要な役割を担う「千家」について詳しく解説いたします。「千家」とは、茶の湯を大成した『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』の道系を継承し、代々茶道の伝統を守り続ける家系の総称です。
「裏千家」では、『千家三代/咄々斎元伯宗旦』の次男である『裏千家初代/仙叟宗室(千宗室)(1622年-1697年)』を祖とし、今日に至るまで続く裏千家の歴史とその特色について詳しくご紹介いたします。
裏千家は、三千家の中でも最も広く一般に茶道を普及させた流派として知られています。『裏千家初代/仙叟宗室(千宗室)』が千家の道統を受け継ぎ、独自の工夫を加えながら発展を遂げ、その後の歴代家元によって茶の湯の精神が受け継がれてきました。
近年の裏千家では、「一碗からピースフルネスを」という理念を掲げ、茶道を通じて平和の大切さを伝える活動を積極的に展開しています。その精神は国内にとどまらず、世界各国に広がり、多くの人々が茶の湯の心を学び、実践するようになりました。現在では、裏千家は世界各地に門弟を擁する国際的な茶道流派として、茶の湯の伝統と文化を広め続けています。
本項では、裏千家の成り立ちや歴代家元の功績を紐解きながら、その魅力を詳しく解説していきます。
それでは、「裏千家」について詳しく見ていきましょう。
❙裏千家 [今日庵] ~ 裏千家とは? ~
裏千家 は、『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』の孫である『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578年-1658年)』 の四男、『裏千家四代/臘月庵仙叟宗室(1622年-1697年)』 によって継承され、確立された茶道の流派です。
❙名称❙
通りの表に位置する表千家の「不審菴」 に対し、裏手にあることから「裏千家」と称されるようになる。
❙裏千家のあゆみ❙
江戸時代を通じて、裏千家は茶道の普及に尽力し、武家、公家、町人など幅広い層に茶の湯を伝えました。特に、加賀藩前田家の茶頭を務めた『裏千家四代/臘月庵仙叟宗室(1622年-1697年)』や『裏千家五代/不休斎常叟宗室(1673年-1704年)』が「伊予松山藩松平(久松)家」の茶頭 を務めたことにより、武家茶道との深い結びつきを持ちました。
明治時代以降は、より広い層への茶道の普及を目的として近代化を進め、広く一般の人々にも門戸を開きました。特に、昭和期には茶道の発展を目的に、以下のさまざまな組織が設立されました。
昭和十五年(1940年)
▶「淡交会」設立(1953年に社団法人認可)
昭和二十二年(1947年)
▶「財団法人 国際茶道文化協会」設立
昭和二十四年(1949年)
▶「財団法人 今日庵」設立
昭和三十七年(1962年)
▶「茶道研修所」設立(のちの「裏千家学園 茶道専門学校」)
平成六年(1994年)
▶「天津商業大学裏千家茶道短期大学」(中国)設立
これらの機関を通じて、裏千家は国内外における茶道の教育・研究・文化交流を推進し続けています。
また、裏千家の門流を統括する組織として 「茶道裏千家淡交会」 が存在し、家元指導のもとで茶道の基本的な点前作法を全国的に統一し、茶道文化の普及・研究・発展に貢献しています。
「淡交会」という名称は、『裏千家十四代/無限斎(淡々斎)碩叟宗室(1893年-1964年)』 の斎号に由来し、荘子の「君子之交淡若水(君子の交わりは淡きこと水の若し)」の教えに基づいて名付けられました。
❙宗室❙
裏千家の家元は代々「宗室(そうしつ)」 の名を襲名する慣わしになっています。
今日において茶道人口の過半数は裏千家門下と推定されており、裏千家は世界最大の茶道流派として、今後も茶の湯文化の発展に貢献し続けていくことでしょう。

❙裏千家❙
[所 在 地] 〒602-0061 京都市上京区小川通寺之内上る本法寺前町613番地
[連 絡 先] TEL 075-431-3111 (代) FAX075-441-2247
[公式 HP] http://www.urasenke.or.jp/
❙裏千家 [今日庵] ~ 今日庵とは? ~
「今日庵(こんにちあん)」とは、裏千家を象徴する茶室であり、その通称(庵号)でもあります。また今日では裏千家の屋敷全体や組織全体を指す名称として用いられています。
『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578年-1658年)』の隠居所として建てられた茶室です。今日の「今日庵」は昭和五年(1930年)の火災によって焼失し、その後すぐに再建されています。
❙庵号の由来❙
「今日庵」の名は「今この瞬間を大切に生きる」 という禅の教えから名付けられたといわれています。
ある日「今日庵」の席開きを迎えた際、『千家三代/咄々斎元伯宗旦』の参禅の師である『[臨済宗大本山]大徳寺百七十世/清巌宗渭(1588年-1661年)』和尚を招きました。
しかし刻限を過ぎても和尚は現れず『千家三代/咄々斎元伯宗旦』は所用があるためやむなく
「明日おいでください」
という伝言を弟子に残し、その場を離れました。
ところが、その数刻後に和尚が来席し、茶室の腰張に以下の言葉を貼り付けて帰ったといいます。
「懈怠比丘不期明日」
訳)遅刻するような怠け者の僧である私は、明日の事はお約束しかねます
この言葉を見た『千家三代/咄々斎元伯宗旦』は、「一寸先は分からぬ人生に、明日の約束を求めた自分の驕り」と猛省し、直ちに大徳寺へ向かい、和尚に詫びました。
その際、『千家三代/咄々斎元伯宗旦』は次の歌を詠み、感謝の意を表しました。
「今日今日といいてその日を暮らしぬる、明日のいのちはとにもかくにも」
訳)明日の命もわからないのに、大切な今日をおろそかに暮らしているのは愚かなことでした。
この禅の教えを深く深く心に刻み、『千家三代/咄々斎元伯宗旦』は自身の茶室を名付けたと伝えられています。
❙裏千家 [今日庵] ~ 許状 ~
茶道において、「許状」とは、稽古の各段階ごとに学ぶことが許可される「許し状」のことを指します。これは、修道の証明書や免許のようなものではなく、習得した課目に応じて次の段階へ進むことを許されるものです。単なる修了証やライセンス(免許)ではなく、茶道の奥義へと進むための指標となります。また、千家においては、許状に関する呼称が異なり、表千家では「相伝」、裏千家、武者小路千家では「許状」と呼ばれ、それぞれの流派において独自の体系が確立されています。
また裏千家では、平成12年の改定により、「資格」制度が整備されました。これにより、許状の取得が単なる技術習得の証明にとどまらず、社会的な評価としての意味も持つようになりました。就職活動や履歴書に記載することが可能となり、茶道が単なる趣味ではなく、文化活動や礼儀作法の修得として認識されるようになっています。
裏千家の「資格」には初級、中級、上級、講師、専任講師、助教授に分かれています。
以下に裏千家における許状種目と資格についてご紹介します。
❙初級❙
[入門]
▶茶道において最も基本となるおじぎの仕方から始まり、割稽古と呼ばれる部分稽古(帛紗を捌く、茶杓や棗を清める、茶巾のたたみ方など)を修得し、はじめてお茶を点てることになります。
[小習]
▶前八ヶ条と後八ヶ条の十六ヶ条の習い事であり、茶道の基本を養う上で最も必要な課目です。
▶前八ヶ条:貴人点、貴人清次、茶入荘、茶碗荘、茶杓荘、茶筅荘、長緒茶入、重茶碗に関する作法
▶後八ヶ条:包帛紗、壺荘、炭所望、花所望、入子点、盆香合、軸荘、大津袋に関する作法
[茶箱点]
▶茶箱(ちゃばこ)と呼ばれる箱を使って行う点前(てまえ)であり、季節により種類があります。
[入門][小習][茶箱点]を取得することで「初級」の資格が得られます。
❙中級❙
[茶通箱]
▶二種類の濃茶を同じ客に差し上げる場合の点前です。四ヶ伝の一つ。
[唐物]
▶茶入が唐物の場合の扱い方です。四ヶ伝の一つ。
[台天目]
▶天目茶碗を台にのせて扱う点前です。四ヶ伝の一つ。
[盆点]
▶唐物茶入が盆にのった場合の点前です。四ヶ伝の一つ。
[和巾点]
▶名物裂、拝領裂等の古帛紗の上に、袋に入れた中次をのせて扱う点前です。
[茶通箱][唐物][台天目][盆点][和巾点]を取得することで「中級」の資格が得られます。
❙上級(助講師)❙
[行之行台子]
▶別名「乱かざり」。行台子をもって行う奥秘の基礎となる点前です。
[大円草]
▶大円盆をもって行う格外の奥秘の点前です。
[引次]
▶
「和巾点」から一年が経過後
[行之行台子][大円草][引次]を取得することで「上級」の資格が得られます。
所定の手続きを経て、弟子の許状申請(取次)を行うことができます。(教授者となることができます)
❙講師❙
[真之行台子]
▶一名「奥儀」といわれるもので、行之行台子を充分に修得できた者に許されます。真台子をもって行うもので、奥儀の根本となる重い習い事です奥儀の根本となる点前です。
[大円真]
▶大円盆をもって真台子で行う格外の奥秘の点前です。
[正引次]
▶
「引次」から一年が経過後
[真之行台子][大円真][正引次]を取得することで「講師」の資格が得られます。
❙専任講師❙
[茶名/紋許]
▶茶名は利休居士以来の歴代家元の「宗」の一字をいただくものです 修道を通じて資質を備えられた方に授与されます
「正引次」から一年が経過後
[茶名・紋許]を取得することで「専任講師」の資格が得られます。
❙助教授❙
[準教授]
▶
「茶名」から二年が経過後/二十五歳以上
[准教授]を取得することで「助教授」の資格が得られます。
裏千家における許状と資格は、茶道の学びの段階を示すものであり、修道の課程を示すものです。稽古を積み、各段階で許状を取得することで、より深く茶道の精神と技法を身につけることができます。
ただし、許状は「学び終えた証」ではなく、「次の段階に進むための許し」であることを理解し、日々の稽古を通じて茶道の心を磨いていくことが大切です。
❙裏千家 [今日庵] ~ 御家元歴代 ~
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四代御家元
❙臘月斎 仙叟宗室 (ろうげつさい・せんそうそうしつ)
元和八年(1622年) ― 元禄十年(1697年) / 七十六歳
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五代御家元
❙不休斎 常叟宗室 (ふきゅうさい・じょうそうそうしつ)
延宝元年(1673年) ― 宝永元年(1704年) / 三十二歳
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六代御家元
❙六閑斎 泰叟宗室 (りっかんさい・そうしつ)
元禄七年(1694年) ― 享保十一年(1726年) / 三十三歳
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七代御家元
❙最々斎 竺叟宗室 (さいさいさい・ちくそうそうしつ)
宝永六年(1709年) ― 享保十八年(1733年) / 二十五歳
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八代御家元
❙又玄斎 一燈宗室 (ゆうげんさい・いっとうそうしつ)
享保四年(1719年) ― 明和八年(1771年) / 五十三歳
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九代御家元
❙不見斎 石翁宗室 (ふけんさい・そうしつ)
延享三年(1746年) ― 享和元年(1801年) / 五十六歳
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十代御家元
❙認徳斎 柏叟宗室 (にんとくさい・そうしつ)
明和七年(1770年) ― 文政九年(1826年) / 五十七歳
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十一代御家元
❙玄々斎 精中宗室 (げんげんさい・そうしつ)
文化七年(1810年) ― 明治四十年(1877年) / 六十八歳
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十二代御家元
❙又玅斎 直叟宗室 (ゆうげんさい・そうしつ)
嘉永五年(1852年) ― 大正六年(1917年) / 六十六歳
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十三代御家元
❙圓能斎 鉄中宗室 (えんのうさい・てっちゅうそうしつ)
明治五年(1872年) ― 大正十三年(1924年) / 五十三歳
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十四代御家元
❙無限斎 碩叟宗室(淡々斎) (むげんさい・そうしつ・たんたんさい)
明治二十六年(1893年) ― 昭和三十九年(1964年) / 七十二歳
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十五代御家元
❙鵬雲斎 汎叟宗室(玄室大宗匠) (ほううんさいそうしつ・げんしつだいそうしょう)
大正十二年(1923年) ― 年(年) / 歳
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当代御家元
❙坐忘斎 玄黙宗室 (ざぼうさい・そうしつ)
昭和三十一年(1956年) ― 年(年) / 歳
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次代御家元(若宗匠)
❙丹心斎 宗史 ()
平成二年(1990年) ― 年(年) / 歳
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