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千家

04.表千家 [不審庵]

表千家_独楽紋

❙はじめに ~ 表千家 [不審庵] ~

「千家」では、今日の茶道において重要な役割を担う「千家」について詳しく解説いたします。「千家」とは、茶の湯を大成した『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』の道系を継承し、代々茶道の伝統を守り続ける家系の総称です。

「表千家」では、『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578年-1658年)』の長男である『表千家初代/江岑宗左(千宗左)(1605年-1676年)』を祖とし、今日に至るまで続く表千家の歴史とその特色について詳しくご紹介いたします。

表千家は、千家三千家の中でも最も格式を重んじ、千利休以来の茶の湯の精神を正統に受け継ぐ流派として知られています。『表千家初代/江岑宗左(千宗左)』が千家の家督を継いだ後、次世代へと茶の湯を継承し、表千家の基盤を築き上げました。

その後も、歴代家元が利休の教えを守りながら発展を遂げ、茶道の本質を伝える役割を果たしてきました。

表千家の茶の湯は、わび茶の精神を根本に据えながらも、洗練された美意識と格式を兼ね備え、現代においても茶道界の中心的な存在として確立されています。

本項では、表千家の成り立ちや歴代家元の功績を紐解きながら、その魅力を詳しく解説していきます。

それでは、「表千家」について詳しく見ていきましょう。

❙表千家 [不審庵] ~ 表千家とは? ~

表千家 は、『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』の孫である『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578年-1658年)』の三男、『表千家四代/逢源斎江岑宗左(1613年-1672年)』によって継承され、確立された流派です。

❙名称❙

裏千家の茶室「今日庵」と対比し、通りの表側に位置することから 「表千家」 と称されるようになりました。

❙表千家の歴史と発展❙

江戸時代、『表千家四代/逢源斎江岑宗左』以来、幕末に至るまで「紀州徳川家」の茶頭を務め、利休伝来の茶の古格を保持し続けました。また、「紀州徳川家」と関係の深かった「三井家」 とも縁があり、これが表千家の発展にも寄与しました。

昭和十七年(1942年)には、表千家の全国的な組織として「表千家同門会」 が発足し、現在では 日本国内に53支部、海外に4支部を設け、茶の湯文化の発展に尽力しています。

昭和二十四年(1949年)には、財団法人「不審菴」 が設立され、400年以上にわたる表千家伝来の文化財の保護・継承が進められています。

財団法人不審菴では、家元の茶室や露地、利休以来の伝来道具、古文書の保存 を行いながら、利休茶道の精神を継承・普及し、日本文化の向上と発展に貢献することを目的としています。

 

❙宗左❙

表千家の家元は、『表千家四代/逢源斎江岑宗左』の襲名する慣わしになっています。

また、次代家元(若宗匠)は「宗員」を称し、隠居後は「宗旦」を名乗ります。

 

表千家は現在に至るまで、茶道の伝統を守りながらも、国内外での普及活動を通じて、茶の湯文化の発展に貢献し続けています。

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表千家
❙表千家❙

[所 在 地] 〒602-0072 京都市上京区寺之内通堀川東入百々町536

[連 絡 先] TEL 075-432-2195 (事務局代表)

[公式 HP] http://www.omotesenke.jp/

❙表千家 [不審庵] ~ 不審庵とは? ~

​「不審庵(ふしんあん)」とは、表千家を象徴する茶室であり、その通称(庵号)であもあります。また今日では表千家の屋敷全体や組織全体を指す名称として用いられています。

「不審庵」のはじまりは『[祖父]抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』が大徳寺門前の屋敷に建てた四畳半の茶室に遡り、この茶室が不審庵の原型となったと伝えられています。しかし今日の「不審庵」の形式は『表千家四代/逢源斎江岑宗左(1613年-1672年)』が父『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578年-1658年)』と相談のうえで建造した三畳台目の茶室が基になっています。

❙庵号の由来❙

「不審庵」の庵号は『[祖父]抛筌斎千宗易(利休)』の参禅の師である『大徳寺百十七世/古渓宗陳(1532年-1597年)』和尚に庵号を求めた際に示された禅語、

​「不審花開今日春(ふしんはなひらくこんにちのはる)」

(疑問を持つことで悟りの花が開き、今日もまた新たな春を迎える)

に由来するといわれています。

この禅語の意味するところは、茶道における「学び続ける心」や「探究する姿勢の大切さ」を示しており、茶道の精神と深く結びついています。

『[祖父]抛筌斎千宗易(利休)』の求道心を象徴する言葉として、「不審庵」の名は今もなお茶道の世界に受け継がれています。

今日の「不審庵」は​昭和五年(1930年)、火災によって一度焼失しました。

しかし、その後すぐに再建が行われ、現在の姿へと復元されています。以降、「不審庵」は表千家の象徴として、茶道の伝統を守り続ける場所として今日に至っています。

❙表千家 [不審庵] ~ 許状 ~

茶道において、「許状」とは、稽古の各段階ごとに学ぶことが許可される「許し状」のことを指します。これは、修道の証明書や免許のようなものではなく、習得した課目に応じて次の段階へ進むことを許されるものです。単なる修了証やライセンス(免許)ではなく、茶道の奥義へと進むための指標となります。また、千家においては、許状に関する呼称が異なり、表千家では「相伝」、裏千家、武者小路千家では「許状」と呼ばれ、それぞれの流派において独自の体系が確立されています。

表千家の免状は、「相伝」と呼ばれます。師事する先生を通じて不審菴への「入門」を許された門弟には、その修業課程に応じ相伝を授与されます。相伝の種類には、「習事」「飾物」「茶通箱」「唐物」「台天目」「盆点」があり、「盆点」の上位には、夫人の最高位となる「乱飾」、さらにその上には、家元後継者をはじめわずかの男子高弟にのみ許される「皆伝」があります。

表千家に資格制度は存在せず相伝は、一般的に、以下のような流れで相伝が与えられます。

❙相伝❙

1.入門
2.習事

▶習事八ヶ条(茶筅飾・台飾・長緒・盆香合・花所望・炭所望・組合点・仕組点)を習得

3.飾物

▶飾物五ヶ条(軸飾・壺飾・茶入飾・茶碗飾・茶杓飾)を習得

4.茶通箱

▶二種類の濃茶を同じ客に差し上げる場合の点前です。

▶茶通箱から先は口伝となります。

5.唐物

▶茶入が唐物の場合の濃茶点前。

6.台天目

▶天目茶碗を台にのせて扱う濃茶点前。

7.盆点

▶四方盆を用いた唐物点前

8.乱飾

▶夫人の最高位

9.皆伝(または的伝)

▶家元後継者及び男子高弟にのみ許される

表千家における相伝とは、茶道の学びの段階を示すものであり、修道の課程を示すものです。稽古を積み、各段階で許状を取得することで、より深く茶道の精神と技法を身につけることができます。
ただし、許状は「学び終えた証」ではなく、「次の段階に進むための許し」であることを理解し、日々の稽古を通じて茶道の心を磨いていくことが大切です。

❙表千家 [不審庵] ~ 御家元歴代 ~

四代御家元

❙逢源斎 江岑宗左 (・そうさ)

慶長十八年(1613年) ― 寛文十二年(1672年) / 六十歳

五代御家元

❙随流斎 良休宗左 (・そうさ)

慶安三年(1650年) ― 元禄四年(1691年) / 四十二歳

六代御家元

❙覚々斎 原叟宗左 (かくかくさい・げんそうそうさ)

延宝六年(1678年) ― 享保十五年(1730年) / 五十歳

七代御家元

❙如心斎 天然宗左 (じょしんさい・てんねんそうさ)

宝永二年(1705年) ― 寛永四年(1751年) / 四十七歳

八代御家元

❙啐啄斎 件翁宗左 (そったくさい・そうさ)

延享元年(1744年) ― 文化五年(1808年) / 六十五歳

九代御家元

❙了々斎 曠叔宗左 (りょうりょうさい・そうさ)

安永四年(1775年) ― 文政八年(1825年) / 五十一歳

十代御家元

❙吸江斎 祥翁宗左 (きゅうこうさい・そうさ)

文政元年(1818年) ― 万延元年(1860年) / 四十三歳

十一代御家元

❙碌々斎 瑞翁宗左 (ろくろくさい・ずいおうそうさ)

天保八年(1837年) ― 明治四十三年(1910年) / 七十四歳

十二代御家元

❙惺斎 敬翁宗左 (せいさい・そうさ)

文久三年(1863年) ― 昭和十二年(1937年) / 七十五歳

十三代御家元

❙即中斎 無盡宗左 (そくちゅうさい・そうさ)

明治三十四年(1901年) ― 昭和五十四年(1979年) / 七十八歳

十四代御家元

❙而妙斎 宗旦 (じみょうさい・そうたん)

昭和二十年(1945年) ― 年(年) / 歳

当代御家元

❙猶有斎 宗左 (ゆうゆうさい・そうさ)

昭和四十五年(1970年) ― 年(年) / 歳

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