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千家

06.武者小路千家 [官休庵]

武者小路千家_独楽紋

❙はじめに ~ 武者小路千家 [官休庵] ~

「千家」では、今日の茶道において重要な役割を担う「千家」について詳しく解説いたします。「千家」とは、茶の湯を大成した『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』の道系を継承し、代々茶道の伝統を守り続ける家系の総称です。

「武者小路千家」では、『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578年-1658年)』の三男である『武者小路千家初代/一翁宗守(千宗守)(1605年-1676年)』を祖とし、今日に至るまで続く武者小路千家の歴史とその特色について詳しくご紹介いたします。

武者小路千家は、三千家の中で最も質実剛健な作法と精神を重んじる流派として知られています。『武者小路千家初代/一翁宗守(千宗守)』は、千家の道統を受け継ぎながらも、自身の美意識と茶道観を反映し、独自の茶風を築きました。

その教えは、武者小路千家の歴代家元によって大切に受け継がれ、現在も多くの茶人によって実践されています。

本項では、武者小路千家の成り立ちや歴代家元の功績を紐解きながら、その魅力を詳しく解説していきます。

それでは、「武者小路千家」について詳しく見ていきましょう。

❙武者小路千家 [官休庵] ~ 武者小路千家とは? ~

武者小路千家 は、『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』の孫である『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578年-1658年)』の次男、『武者小路千家初代/一翁宗守(千宗守)(1605年-1676年)』によって継承され、確立された茶道の流派です。

 

❙名称❙

「武者小路千家」の名称は、千家の屋敷があった 京都市上京区武者小路通 に由来します。

❙武者小路千家のあゆみ❙

武者小路千家は、表千家や裏千家に比べて規模は小さいながらも、質素・簡素を重んじる茶道の在り方 を貫き、江戸時代を通じて茶道の精神性を深めることに重点を置きながら発展してきました。そのため、武者小路千家の茶は 「幽玄の茶」や「静寂の茶」 などと称されることがあります。

明治時代以降、武者小路千家も茶道の普及活動に尽力しながらも、その独自の精神を守り続けました。特に昭和五十年(1975年)には 「財団法人 官休庵」 が設立され、武者小路千家の茶道の保存・発展に貢献しています。

また、武者小路千家では 「日常生活の中での茶の湯の実践」 を重視し、現代においても 茶道の精神を通じた人と人との交流を大切にする という理念のもと、茶の湯の本質を伝え続けています。

 

❙宗守❙

武者小路千家の家元は代々「宗守」の名を襲名する慣わしになっています。

これは、千家の家元制度の中でも特に 「家元が茶道の根本精神を継承し、次代へとつなぐ」 という役割を重視したものといえます。

「宗守」の名は、『武者小路千家初代/一翁宗守(千宗守)(1605年-1676年)』の参禅の師、『大徳寺第百八十五世/玉舟宗和尚(1600-1668)』の命名で、四百年の間、絶えることなく確かに茶聖利休居士の道統と血統を伝え、当代に至ります。

また、その折同時に示された「宗屋」の名は代々後嗣に継がれ、「宗安」は隠居後の号となっています。

武者小路千家の茶道は、『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)』が大成した「わび茶」の精神を忠実に受け継ぎ、質素で実直な茶の湯 を重んじています。権威や格式にとらわれず、日常生活の中で茶道を実践すること を大切にしている点が特徴です。

今日も、「静寂と調和」を大切にする茶の湯の精神 を国内外に広め、茶道の普及に努めています。

武者小路千家
❙武者小路千家❙

[所 在 地] 〒602-0936 京都府京都市上京区武者小路町小川 西無車小路613-2

[連 絡 先] TEL 075-411-1000

[公式 HP] http://www.mushakouji-senke.or.jp/

❙武者小路千家 [官休庵] ~ 官休庵とは? ~

「官休庵(かんきゅうあん)」とは、武者小路千家を象徴する茶室であり、その通称(庵号)でもあります。また今日では武者小路千家の屋敷全体や組織全体を指す名称として用いられています。

 

 

❙庵号の由来❙

『官休庵』という庵号の由来については、今日においても確かな史料は残されていませんが、安永三年(1774年)

茶室を建造した際に父『千家三代/咄々斎元伯宗旦』に名付けてもらったとされる。

しかし今日においてその名の由来は判然としないが、安永三年(1774)、『武者小路千家四代/似休齋一翁宗守(1605年-1676年)』の「百年忌」の際に『大徳寺第三百九十世/眞巌宗乗(1721年-1801年)』和尚により記された頌には、次のような一節が残されている。

 「古人云官因老病休 翁者蓋因茶休也歟」

訳)昔の人は、官職を老いや病のために退いたというが、翁(宗守)は茶の湯に専念するために官(茶道指南)を辞めたのであろう

この解釈によれば、「官休庵」の名は「官職を辞して茶の湯に専念する」ことを意味し、茶道が単なる嗜みではなく、生き方そのものとして位置づけられたことを表していると考えられます。

 

「官休庵」は今日までに何度か消失するが、そのたびに再建がなされ、今日の「官休庵」は大正十五年(1926年)に『武者小路千家十二代/愈好斎聴松宗守(1889年-1953年)』によって再建されたものです。

❙武者小路千家 [官休庵] ~ 許状 ~

茶道において、「許状」とは、稽古の各段階ごとに学ぶことが許可される「許し状」のことを指します。これは、修道の証明書や免許のようなものではなく、習得した課目に応じて次の段階へ進むことが許されるものです。単なる修了証やライセンス(免許)ではなく、茶道の奥義へと進むための指標となります。また、千家においては、許状に関する呼称が異なり、表千家では「相伝」、裏千家・武者小路千家では「許状」と呼ばれ、それぞれの流派において独自の体系が確立されています。

武者小路千家では、許状の取得を通じて教授や正教授の資格を得ることができます。許状の種類は以下の通りに分かれており、裏千家と共通する部分も多いですが、名称や修道の流れには武者小路千家ならではの特徴があります。

❙許状❙

  1. 的伝

  2. 小習Ⅰ(長緒、盆香合)

  3. 小習Ⅱ(入子調、台調)

  4. 小習Ⅲ(壺飾、軸飾)

  5. 唐物

  6. 茶通箱

  7. 台天目

  8. 盆点

  9. 教授

  10. 相伝

  11. 皆伝

武者小路千家では、小習までのお稽古を通じて、武者小路千家の茶道の基礎を学びます。

唐物の許状を得ると「助教授」、盆点までの許状を得ると「準教授」、そして最高位の「相伝」を得ることで「正教授」となります。

また、「相伝」の上には「皆伝」という位がありますが、これは一代の家元に対して数名しか授与されない特別なものであり、一般的には「相伝」が最高位の許状とされています。

​武者小路千家における許状と資格は、茶道の学びの段階を示すものであり、修道の課程を示すものです。稽古を積み、各段階で許状を取得することで、より深く茶道の精神と技法を身につけることができます。
ただし、許状は「学び終えた証」ではなく、「次の段階に進むための許し」であることを理解し、日々の稽古を通じて茶道の心を磨いていくことが大切です。

❙武者小路千家 [官休庵] ~ 歴代御家元 ~

四代御家元

❙似休斎 一翁宗守 (じきゅうさい・いちおう)

慶長十年(1605年) ― 延宝四年(1676年) / 七十二歳

五代御家元

❙許由斎 文叔宗守 (きょゆうさい・ぶんしゅく)

明暦四年(1658年) ― 宝永五年(1708年) / 五十一歳

六代御家元

❙静々斎 真伯宗守 (せいせいさい・しんぱく)

元禄六年(1693年) ― 延享二年(1745年) / 五十三歳

七代御家元

❙直斎 堅叟宗守 (じきさい・けんそう)

享保十年(1725年) ― 天明二年(1782年) / 五十八歳

八代御家元

❙一啜斎 休翁宗守 (いっとつさい・きゅうおう)

宝暦十三年(1763年) ― 天保九年(1838年) / 七十六歳

九代御家元

❙好々斎 仁翁宗守 (こうこうさい・にんおう)

寛政七年(1795年) ― 天保六年(1835年) / 四十一歳

十代御家元

❙以心斎 全道宗守 (いしんさい・ぜんどう)

文政十三年(1830年) ― 明治二十四年(1891年) / 六十二歳

十一代御家元

❙一指斎 一叟宗守 (いっしさい・いっそう)

嘉永元年(1848年) ― 明治三十一年(1898年) / 五十一歳

十二代御家元

❙愈好斎 聴松宗守 (ゆこうさい・ちょうしょう)

明治二十二年(1889年) ― 昭和二十八年(1953年) / 六十五歳

十三代御家元

❙有隣斎 徳翁宗守 (うりんさい・とくおう)

大正元年(1913年) ― 平成十一年(1999年) / 八十六歳

十四代御家元

❙不徹斎 宗守 (ふてっさい・そうしゅ)

昭和二十年(1945年) ― 年(年) / 歳

当代御家元

❙随縁斎 宗屋 (ずいえんさい・そうおく)

昭和五十年(1975年) ― 年(年) / 歳

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