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千家

06.武者小路千家 [官休庵]

武者小路千家_独楽紋

❙はじめに ~ 武者小路千家 [官休庵] ~

武者小路千家は三千家の一つで茶道の中でも特有の美しさと精神性を持つ流派で、伝統を大切にしながらも新しい試みを取りれている流派です。

本項では武者小路千家の建立から歴代の御家元についてご紹介します。

❙武者小路千家 [官休庵] ~ 武者小路千家とは? ~

『抛筌斎千宗易(利休)』の孫になる『千家三代/咄々斎元伯宗旦』の次男である『武者小路千家四代/似休齋一翁宗守』が一度家を出ていたが後に千家に戻り、父の家督を継承し『武者小路千家/官休庵』を創建。

『武者小路千家』の称はその所在地「京都市上京区武者小路通」から名付けら現在に至る。

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武者小路千家
❙武者小路千家❙

[所 在 地] 〒602-0936 京都府京都市上京区武者小路町小川 西無車小路613-2

[連 絡 先] TEL 075-411-1000

[公式 HP] http://www.mushakouji-senke.or.jp/

❙武者小路千家 [官休庵] ~ 官休庵とは? ~

『武者小路千家』の通称(庵号)である『官休庵~かんきゅうあん~』は茶室を建造した際に父『千家三代/咄々斎元伯宗旦』に名付けてもらったとされる。

しかし今日においてその名の由来は判然としないが安永三年(1774)『武者小路千家四代/似休齋一翁宗守』の「百年忌」の際に大徳寺第三百九十世『眞巌宗乗』和尚により記された頌には、

 「古人云官因老病休 翁者蓋因茶休也歟(茶に専念するために官〔茶道指南〕を辞めたのであろう)」

​と解釈されている。

今日までに何度か消失するがそのたびに復興を重ね、現在の『官休庵』は大正十五年(1926)に『武者小路千家十二代/愈好斎聴松宗守』により建造されている。

​また今日において『官休庵』の庵号は『武者小路千家』の屋敷全体ならびに機構の全体を指し、歴代の御家元の号として用いられている。

❙武者小路千家 [官休庵] ~ 歴代御家元 ~

四代御家元

❙似休斎 一翁宗守 (じきゅうさい・いちおう)

慶長十年(1605年) ― 延宝四年(1676年) / 七十二歳

五代御家元

❙許由斎 文叔宗守 (きょゆうさい・ぶんしゅく)

明暦四年(1658年) ― 宝永五年(1708年) / 五十一歳

六代御家元

❙静々斎 真伯宗守 (せいせいさい・しんぱく)

元禄六年(1693年) ― 延享二年(1745年) / 五十三歳

七代御家元

❙直斎 堅叟宗守 (じきさい・けんそう)

享保十年(1725年) ― 天明二年(1782年) / 五十八歳

八代御家元

❙一啜斎 休翁宗守 (いっとつさい・きゅうおう)

宝暦十三年(1763年) ― 天保九年(1838年) / 七十六歳

九代御家元

❙好々斎 仁翁宗守 (こうこうさい・にんおう)

寛政七年(1795年) ― 天保六年(1835年) / 四十一歳

十代御家元

❙以心斎 全道宗守 (いしんさい・ぜんどう)

文政十三年(1830年) ― 明治二十四年(1891年) / 六十二歳

十一代御家元

❙一指斎 一叟宗守 (いっしさい・いっそう)

嘉永元年(1848年) ― 明治三十一年(1898年) / 五十一歳

十二代御家元

❙愈好斎 聴松宗守 (ゆこうさい・ちょうしょう)

明治二十二年(1889年) ― 昭和二十八年(1953年) / 六十五歳

十三代御家元

❙有隣斎 徳翁宗守 (うりんさい・とくおう)

大正元年(1913年) ― 平成十一年(1999年) / 八十六歳

十四代御家元

❙不徹斎 宗守 (ふてっさい・そうしゅ)

昭和二十年(1945年) ― 年(年) / 歳

当代御家元

❙随縁斎 宗屋 (ずいえんさい・そうおく)

昭和五十年(1975年) ― 年(年) / 歳

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