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RAKU KICHIZAEMON

HIKI IKKAN

TEACEREMONY ​ROOM

❙上座床❙

点前座からみて正面右側(東側)に『床』を設けたものを『上座床』または『本床』と称します。

❙下座床❙

点前座からみて後面右側(東側)に『床』を設けたものを『下座床』と称します。

❙亭主床❙

点前座に『床』を設けたものを『亭主床』と称します。

❙引茶❙

―ひきちゃ―

茶園で「茶」を挽くという意から、「引茶」の字が用いられる。飲茶方法は「団茶」を砕いて薬研で挽いて粉末状にしたのち沸騰した釜の中に投じ、「茶盞」に注ぎ「甘葛」「生姜」などで調味して飲まれていました。大同三年(808年)平安京の内裏東北隅に茶園が経営され「引茶」で使うための造茶師が置かれていという。また一定の作法をもって喫することから今日の「茶道」の原型がこの時点で存在していたと考えられます。

❙季御読経❙

―きのみどきょう―

「季御読経」は、天平元年(729年)にはじまったとされ平安時代(794年-1185年)の終り頃まで続いた「宮中行事」のひとつ。東大寺や興福寺などの諸寺から60~100の禅僧を朝廷に招き3日~4日にわたって『大般若経』を読経し国家と天皇の安泰を祈る行事であり、その中の第二日目に衆僧に「引茶」をふるまう儀式が行われていました。のちに『[宮中行事]季御読経』は春秋の二季に取り行われることとなったが、「引茶」は春のみに行われていたとされています。また「茶」を喫する事も修行の一つであるという意から「行茶」とも呼ばれていました。

❙季御読経❙

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応永二十九年(1422年)-文亀二年(1502年)五月十五日

茶匠

❙村田珠光 (むらた・じゅこう)

応永三十年(1423年)、奈良に生まれた「[茶祖]村田珠光(1423-1502)」は十一歳の頃に奈良「浄土宗/称名寺」出家。その後、大徳寺の禅僧「大徳寺四十七世/一休宗純(1394-1481)」より禅を学び、禅と茶の境地が似ていることを学んだと伝えられる。

本来、僧であるため苗字を記される事は無いがないが現在では「村田珠光」という呼び方が定着しており近年では「しゅこう」「じゅこう」と呼称される。

また「珠光」の僧名は、浄土三部経の一つで平安時代(794-1185)中期の天台宗の僧「[源信大師]恵心僧都(生没享年不詳)」の「仏説無量寿経」の語句 「一々の珠、一々の光」からとられたという。

懐 紙

懐紙は、日本の伝統的な和紙の一種で、主に和菓子やお茶の席で使われます。薄くて柔らかい特徴があり、手に持ちやすく、食べ物を包んだり、手を拭いたりするのに適しています。また、懐紙には美デザイン

懐 紙

懐紙は、日本の伝統的な和紙の一種で、主に和菓子やお茶の席で使われます。薄くて柔らかい特徴があり、手に持ちやすく、食べ物を包んだり、手を拭いたりするのに適しています。また、懐紙には美デザイン

懐 紙

懐紙は、日本の伝統的な和紙の一種で、主に和菓子やお茶の席で使われます。薄くて柔らかい特徴があり、手に持ちやすく、食べ物を包んだり、手を拭いたりするのに適しています。また、懐紙には美デザイン

懐 紙

懐紙は、日本の伝統的な和紙の一種で、主に和菓子やお茶の席で使われます。薄くて柔らかい特徴があり、手に持ちやすく、食べ物を包んだり、手を拭いたりするのに適しています。また、懐紙には美デザイン

点 前 帛 紗

扇 子

懐 紙

​菓子楊枝

古 帛 紗

​出 帛 紗

帛 紗 鋏

​数寄屋袋

メガネを持つ女性の落書き

茶 杓

茶 碗

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茶 碗

茶 碗

メガネを持つ女性の落書き

八木圭介

茶 碗

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八木圭介

茶碗

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懐中道具

茶 碗

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八木圭介

茶 碗

メガネを持つ女性の落書き

茶 碗

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八木圭介

茶 碗

メガネを持つ女性の落書き

八木圭介

茶 碗

茶 杓

八木圭介

八木圭介

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茶 碗

懐中道具

八木圭介

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